松本亀次郎と松下大三郎の受身の論について

松本亀次郎と松下大三郎の受身の論について
  岡田 誠


はじめに

近代における日本語教育史において、松本亀次郎は、宏文学院などで多くの留学生に長年にわたり日本語を教え、日本語教科書を多数執筆し、のちに日華同人共立東亜高等予備学校を創設した。また、松下大三郎は、宏文学院などで留学生に日本語を教え、日華学院を創設し、外国人を視野に入れた日本語教科書と文法書を多数執筆した。そこで、本稿では、その両者の日本語教科書と文法書における受身の論を取り上げ、それぞれの観点の違いや文法論の深化の過程を考察することとする。


1.松本亀次郎の受身の論

1.1 松本亀次郎の代表的な日本語教科書

関正昭(1997a)によると、松本亀次郎の多くの日本語教科書の中で、中国人留学生に人気を博した代表的な日本語教科書は以下の三冊である。
松本亀次郎(1904)『言文対照漢訳日本文典』中外図書局
松本亀次郎編(1906)『日本語教科書』東京金港堂書籍株式会社
松本亀次郎(1919)『漢訳日本口語文法教科書』笹川書店
本稿では、この三冊に加えて、以下の三冊を加えて、受身の論と例文の変遷を見ることとする。
松本亀次郎(1914)『漢訳日本語会話教科書』東京光栄館書店
松本亀次郎(1934)『詳解日語肯綮大全』有隣書屋
松本亀次郎(1940)『日本語会話教典』有隣書屋

1.2 松本亀次郎の日本語教科書における受身

1.2.1 1904年『言文対照漢訳日本文典』の受身記述

松本亀次郎(1904)では、文語と口語の活用表を示し、受身文は「被性助動詞(受身・所相・或ハ受動)」として扱われている。以下、活用表と受身文として用いられている例文を整理してみる。なお、活用表は第一変化(順態仮定・前提法・バ)・第二変化(中止法)・第三変化(終止法・逆態仮定・トモ)・第四変化(連体法)・第五変化(逆態仮定・前提法・ド・ドモ)・第六変化(命令法)の六分類である。

(文語)
レ・レ・ル・ルル・ルレ・レヨ
ラレ・ラレ・ラル・ラルル・ラルレ・ラレヨ
(口語)
レ・レ・レル・レル・レレ・レヨ
ラレ・ラレ・ラレル・ラレル・ラレレ・ラレヨ

犬人ヲ噛ム。
人犬ニ噛マル。
少女、猫ヲ抱ク。
猫少女ニ抱カル。
項羽、高帝ヲ、栄陽ニ囲ム。
高帝、項羽ニ、栄陽ニ、囲マル。
露国、満州ヲ侵略ス。
満州、露国ニ、侵略セラル。

この例文は直接受身を軸に動作主を「ニ格」で示し、文語の助動詞「る・らる」の接続で示している。この受身については、次のように述べている。

斯クノ如ク、此・彼ノ動作ヲ受クルコトヲ、被性・或ハ・受身ト謂フ。被性ノ文章ニハ、起動者及ビ被動者、無カル可カラズ。其ノ起動者を表す詞ヲ、被性文ノ標準詞ト謂フ。・・(中略)・・被性ノル及ビラルハ、漢字ノ見被為為所ノ義ニ当レリ。・・(中略)・・被性助動詞ハ、皆、動詞及び助動詞ノ第一変化に接続ス。而シテルハ四段及ビナ変ラ変ニ繋リ、ラルハ其ノ他ノ動詞ニ繋ル。

このように松本亀次郎(1904)では、文語の「る・らる」の接続で成立する受身文の例を示し、例文も少なめでシンプルである。

1.2.2 1906年『日本語教科書』の受身記述

松本亀次郎(1906)では、第72課で「レル ラレル」を扱っており、受身についての解説はなく、以下のように受身を使った会話例が示されている。

警官ガ 酒酔ヒヲ 説諭スル。
酒酔ガ 警官ニ 説諭サレル。
掏摸ガ 旅人ノ懐中物ヲ スル。
旅人ガ 掏摸ニ 懐中物ヲ スラレル。
鳶ガ 魚ヲ サラフ。
魚屋ガ 鳶ニ 魚ヲ サラハレル。
風ガ 帽子ヲ 吹キ飛バス。
帽子ガ 風ニ 吹キ飛バサレル。
味方ノ水雷ガ 敵ノ戦闘艦ヲ 撃チ沈メル。
敵ノ戦闘艦ガ 味方ノ水雷ニ ウチ沈メラレル。
赤十字社野戦病院ガ 敵味方ノ負傷兵ヲ 収容スル。
敵味方ノ負傷兵ガ 赤十字社野戦病院ニ 収容サレル。
父ガ 長子ニ 手紙ヲ 代筆サセル。
長子ガ 父ニ 手紙ヲ 代書サセラレル。
アノ女ノ子ハ ナゼ 泣イテ居マスカ。
アノ女ノ子ハ 今 オッカサンニ 叱ラレマシタカラ泣イテ居ルノデス。
アノ人ハ 今 子供ニ 馬鹿ニ サレマシタカラ オコッテ 居ルノデス。
アノ男ハ ナゼ 巡査ノ前デ 頭ヲ 下ゲテ 居マスカ。
アレハ 酒ニ 酔ッテ 市中ヲ 放歌シテ 歩キマシタカラ 今 巡査ニ 説諭サレテ 居ルノデス。

このように松本亀次郎編(1906)の会話例をみると、直接受身、間接受身、持ち主の受身、非情の受身、迷惑・被害の受身、使役受身といった、現在、日本語教科書で扱われている例文があげられている。

1.2.3 1919年『漢訳日本口語文法教科書』の受身記述

松本亀次郎(1919)の段階になると、受身文は「被役助動詞」と項目の名称が変わり、口語の「れる・られる」の形式で接続する例文を以下のように多く採録し、受身文の種類も多岐に及んでいる。なお、活用表については、第一変化から第六変化で扱うことに変更はないが、口語の活用表を示し、その命令形を「れろ・られろ」に変更し、文語の活用表を削除している。

(口語)
レ・レ・レル・レル・レレ・レロ
ラレ・ラレ・ラレル・ラレル・ラレレ・ラレロ

松本亀次郎(1919)の例文を以下に列挙してみる。

警官ガ、酒酔ヲ諭ス。
酒酔ガ、警官ニ、諭サレル。
慈善家ガ、貧民ヲ救フ。
貧民ガ、慈善家ニ、救ハレル。
教師ガ学生ヲ褒メル。
学生ガ、教師ニ褒メラレル。
保険会社員ガ、人々ニ生命保険ヲ、契約スルコトヲ勧メル。
人々ガ、保険会社員ニ、生命保険ヲ契約スルコトヲ勧メラレル。
世間ハ真面目ナ人ヲ、歓迎スル。
真面目ナ人ガ、世間カラ、歓迎セラレル。
良民ガ、無頼漢ニ、脅迫セラ(サ)レル。
田舎者ガ、都会ニ、馬鹿ニセラ(サ)レル。
太郎ガ、次郎ニ殴打セラ(サ)レル。
医者ガ、病人ニ、薬ヲ飲マセル。
病人ガ、医者ニ薬ヲ飲マセラレル。
老人ガ、青年ニ、長談義ヲ聴カセル。
青年ガ、老人ニ、長談義ヲ聴カセラレル。
政府ガ、国民ニ、国税地方税ヲ、負担サセル。
国民ガ政府ニ国税地方税ヲ負担サセラレル。
判事ガ、原告ト、被告ニ、虚偽ノ申立ヲ、シナイト言フ誓ヲ、立テサセル。
原告ト被告ガ、判事ニ、虚偽ノ申立ヲ立テサセラレル。

このように例文も松本亀次郎(1904)に比べれば、大幅に増えてはいるものの、非情の受身、持ち主の受身の例文は入っていない。約音が扱われているのは、近代日本語教科書の大きな特徴となっている。これらの受身文について、松本亀次郎(1919)では、次のように述べている。

〔被役助動詞〕ハ、甲ガ、乙ノ動作ヲ、受ケル意味を表ハス詞デス。・・(中略)・・レルハ、四段ノ第一変化ニ接続シ、ラレルハ、其ノ他ノ動詞ノ、第一変化ニ接続シマス。又サ行変格ガ、ラレルニ接続スル時ハ約音ヲ生ジマス。・・(中略)・・使役助動詞ト、被役助動詞トノ接続。使役助動詞ニ、被役助動詞ヲ接続サセレバ、使役相ヲ受ケル詞トナリマス。・・被役相ヲ表ハスニハ、レルラレルノ二語ヲ用ヒマス。漢字ノ被見為・・所等ノ意デス。被役相ノ文章ニハ、被動者ト起動者トヲ具ヘナケレバナリマセン。又起動者ニハ、必ズ助詞ノニ或ハカラヲ添ヘマス。・・(中略)・・上欄ノ飲マセル聴カセルナドハ、普通ノ使役相デ、下欄ノ飲マセラレル聴カセラレルナドハ、使役相ヲ受ケル意味ヲ表ハス者デス。

このように松本亀次郎(1919)では、「使役受身」の記述が新たに加わり、動作主「ニ格」の他に「カラ格」についても扱っていることがわかる。このように、松本亀次郎(1904)の段階から松本亀次郎(1919)の段階になると、受身文についての考え方の変遷をみることができる(注1)。

この二書の中間として松本亀次郎(1914)も参考までにあげておく。
第一課 教場用語
第二課 挨拶ノ会話
第三課 下宿屋(其ノ一)
第四課 下宿屋(其ノ二)
第五課 買ヒ物ノ会話(其一)
第六課 朝ノ会話(其ノ一)
第七課 朝ノ会話(其ノ二)
第八課 晩ノ会話(其ノ一)
第九課 晩ノ会話(其ノ二)
第十課 理髪
第十一課 買物ノ会話(其ノ二)
第十二課 買物ノ会話(其ノ三)
第十三課 本屋ノ会話(其一)
第十四課 本屋ノ会話(其二)
第十五課 下宿屋ノ会話(其一)
第十六課 下宿屋ノ会話(其二)
第十七課 路ヲ尋ネル会話
第十八課 人力車(其一)
第十九課 人力車(其二)
第二十課 電車
第二十一課 時計屋ノ会話(其一)
第二十二課 時計屋ノ会話(其二)
第二十三課 洋服屋(其一)
第二十四課 洋服屋(其二)
第二十五課 洋服屋(其三)
第二十六課 靴屋
第二十七課 呉服屋
第二十八課 写真
第二十九課 訪問
第三十課 訪問ノ心得
第三十一課 警察署(其一)
第三十二課 警察署(其二)
第三十三課 紹介
第三十四課 病気見舞(其一)
第三十五課 病気見舞(其一)
第三十六課 診察
第三十七課 春(其一)
第三十八課 春(其二)
第三十九課 夏(其一)
第四十課 夏(其二)
第四十一課 秋(其一)
第四十二課 秋(其二)
第四十三課 冬(其一)
第四十四課 冬(其二)
第四十五課 旅館ノ会話(其一)
第四十六課 旅館ノ会話(其二)
第四十七課 散歩
第四十八課 借家
第四十九課 新年

以下、受身の全用例12例である。なお、用例の3・4は同一の例文に2箇所受身がある例で、3は連用形で4は連体形で用いられている。
1客 サウカ、ソンナラ下リテ遣ラウ、車ヲヒックリカヘサレテ、怪我デモサセラレタ日ニハカナハナイカラ。(第十九課)
2甲 私モ御同様ノ必要ニ、迫ラレテ居マスカラ、御伴ヲイタシマセウ。(第二十七課)
3教 其処(ソコ)デ名刺ヲ出シテ、主人ガ客ヨリ下ノ場合カ、或ハ客ヲ丁重ニスル場合ニハ、自身ニ玄関マデ出迎ヘマスガ、普通ノ場合ニハ、執次(トリツギ)に案内サレテ、客間ヘ通サレルノデス。(第二十九課)
4教 其処(ソコ)デ名刺ヲ出シテ、主人ガ客ヨリ下ノ場合カ、或ハ客ヲ丁重ニスル場合ニハ、自身ニ玄関マデ出迎ヘマスガ、普通ノ場合ニハ、執次(トリツギ)に案内サレテ、客間ヘ通サレルノデス。(第二十九課)
5生 敷物ヲ薦メラレタ時ハ、ドウスルノデスカ。(第二十九課)
6生 茶ヤ菓子ヲ、出サレタ場合ニハ、ドウスルノデスカ。(第二十九課)
7教 勿論出サレタラ、飲ミモシ、食ベモスルノガ、当然ノ体デス、(第二十九課)
8巡査 実ニイイ人ニ拾ハレテ結構デシタ。(第三十課)
9人民 ハイ届書ノ雛形ヲ存ジマセンカラ、仮リニ取ラレタ物ノ品書キヲ認(したた)メテ参シマシタ。(第三十二課)
10患者 丸デ厚紙デモ貼ッタ上カラ、撫デラレルヨウナ気持ガシマス。(第三十六課)
11乙 ヤァ、一寸(チョット)其処(ソコ)ヲシメテ下サイマセンカ、非常ナホコリデ、紙モ吹キ飛バサレテシマヒ相デス。(第四十二課)
12丙 放歌シテモ巡査ニ咎メラレル気遣ヒハナイカラ、一ツ僕ノ吟声ヲ聴カセテ遣リマセウカ。(第四十六課)

1.2.4 1934年『詳解日本肯綮大全』の受身記述

その後の、松本亀次郎(1934)では、どのように扱われているのであろうか。松本亀次郎(1934)の「第二篇」「第三篇」「第四篇」で、記述が見られる。
「第二編 語法応用会話」の第三十九課に「被役助動詞」として記述がある。

れる
れ れ れる れる れれ れろ(れよ)
られる
られ られ られる られる られれ られろ(られよ)

二語共表明被役之助動詞也。漢字被見為・・所叫等之意。其添于自動詞者、該当于遭遇見等之義。

子供が 犬(いぬ)を打(う)つ。
犬が 子供に打たれる。
お父(とう)さんが 子供を叱(しか)る。
子供が お父さんに 叱られる。
掏摸(すり)が 旅人(たびびと)の懐中物(かいちゅうもの)を する。
旅人が 掏摸に 懐中物を すられる。
匪賊(ひぞく)が 汽車(きしゃ)を 襲撃(しゅうげき)する。
汽車が 匪賊に 襲撃される。
主人(しゅじん)が 丁稚(でっち)を 褒(ほ)める。
丁稚が 主人に 褒められる。
父(ちち)が 息子(むすこ)に 手紙(てがみ)を 代筆させる。
息子が 父に 手紙を 代筆させられる。
学校(がっこう)の帰り(かえり)に 雨(あめ)が降る。
学校の帰りに 雨に降られる。
修業(しゅぎょう)の途中(とちゅう)に 親が死んだ。
修業の途中で、親に死なれると、困難(こんなん)する。

松本亀次郎(1934)では、「褒められる」のような迷惑ではない例や、「降る」「死ぬ」といった自動詞を用いた受身文も掲載されている。

「第三篇 日本口語文法大綱」には、「れる・られる」の用法として、受身だけではなく、可能・尊敬の例文もあげられている。

猫ガ犬ニ逐(お)ハレル
鼠ガ、猫ニ捕(とら)ヘラレル。
此ノ酒ハ、下戸ニモ飲マレル。
此ノ画ハ、一寸(ちょっと)観(み)ラレル。
アナタハ何処(どこ)ニ行(い)カレル。

また、次のように、問答形式で受身と使役について述べ、使役と受身を対応させて示している。

問 使役ノセルトサセル、被役ノレルトラレル、推量ノウトヨウニハ、意義ニ区別ガアリマスカ。
答 意義ニハ区別ガアリマセン。唯上ニ在ル動詞ノ活用ガ違フ丈デス。セルレルウハ四段を承ケ、サセルラレルヨウハ、四段以外の動詞ニ続クノデス。

「第四篇 文語用例一斑」では、次のような迷惑・被害を示す例をあげている。

権力ニヨリテ、強行セラルル(被)モノヲ云フ。
臣民ハ、其ノ所有権ヲ、侵サルルコトナシ。
臣民ハ、法律ニ定メタル場合ヲ除ク外、其ノ許諾ナクシテ、住所ニ侵入セラレ、及捜索セラルルコトナシ。

1.2.5 1940年『日本語会話教典』の受身記述

松本亀次郎(1940)では、「第二篇 基礎会話」の第三十五課に「使役ト被役 セル サセル レル ラレル」という項目があり、使役と受身を次のように例文を並べ、直接受身、間接受身、持ち主の受身、迷惑・被害の受身、使役受身、非情の受身、自動詞の受身、約音といった多岐にわたる例を示していることがわかる。

長官ガ 秘書ニ 革鞄(かばん)ヲ持タセル。
オ母サンガ 赤チャンニ 乳ヲ飲マセル。
オ父サンガ 子供等ニ 日課ヲ復習(セ)サセル。
主人ガ 給仕ニ オ客サンヲ 案内(セ)サセル。
猫ガ 犬ニ 逐ハレル。
年寄ガ 自動車ニ轢(ひ)カレル。
要塞ガ 飛行機ニ爆撃セラ(サ)レル。
軍艦ガ 潜水艦ニ撃沈セラ(サ)レル。
僕ハ 途中デ 雨ニ降ラレテ 大変難儀シタ。
君ハ 昨日 掏摸(すり)ニ 時計ヲスラレタ相デスネ。
イイエ、時計デハナイデス。札入ヲスラレマシタ。
アナタハ 昨夜 コノ犬ニ吠エラレタ相デスネ。
エイ、夜中ニ吠エラレテ、全ク困リマシタ。
寄宿舎デハ 何時ニ 学生ヲ起キサセマスカ。
毎朝 五時ニ起キサセマス。
アナタ達ニ 室内ノ掃除ヲセサ(サ)セマスカ。
室内ハ無論デス。庭マデ掃カセラレマス。
休日ニハ 何時マデ、外出セサ(サ)セマスカ。
休日ニハ 九時マデ、外出セサ(サ)セマス。
門限時間ニ、遅刻スルト ドウシマスカ。
始末書ヲ出サセラレマス。

1.3 松本亀次郎の受身文の種類

松本亀次郎が受身文としてあげている例文、および「れる・られる」の受身用法として扱っている受身文の種類を以下にまとめてみる(注2)。

    発行年
受身の種類 1904 1906 1914 1919 1934 1940
直接受身  ○  ○  ○  ○  ○  ○
間接受身(ヲ格)  ○  ○  ○  ○  ○
持ち主の受身  ○  ○  ○
迷惑の受身  ○  ○  ○  ○  ○  ○
非情の受身  ○  ○  ○  ○
自動詞の受身  ○  ○
使役受身  ○  ○  ○  ○  ○
動作主ニ格  ○  ○  ○  ○  ○  ○
動作主カラ格  ○
動作主ニヨッテ格  ○

○「れる・られる」についての記述
1904(文語・口語) 1919(口語) 1934(口語)
○被・見・為・所についての記述
1904 1919 1934
○能動文の設定
1904 1906 1919 1934
○約音の記述
1919 1940

○1904では受身文の種類が少なかったが、1906では受身文の種類が充実している。
○格については1919でカラ格を扱っている。
○1919でカラ格、1934でニヨッテ格を扱っているが、他では扱っていない。このことは、日本語本来の言い方ではないことを意味していると考えられる。
○1934と1940の段階では、カラ格については扱っていないが、受身文の種類は、バランスよく扱っている。
○1906・1934・1940の傾向が受身の大枠としては共通している。松本亀次郎編集代表(1906)『日本語教科書』は、三矢重松・松下大三郎なども編纂に加わったものである。この『日本語教科書』がベースになっていると考えられる。
○1914・1919では、非情の受身・自動詞の受身・持ち主の受身が扱われていない。このことは、当時の口語を反映し、非情の受身と自動詞の受身は、日本語の会話としては、重要視していない可能性がある。


2.松下大三郎の受身の論

2.1 松下大三郎の文法論の三区分

松下大三郎の文法論について、徳田政信(2004)は、大きく三期の変化を経て完成するとしている。本稿では、この徳田政信(2004)の三区分にしたがって論を進めることとする(注3)。また、日本語教育としての立場から、松下大三郎(1906)と松下大三郎(1907)を調査対象とし、鈴木一(2006)の指摘にもあるように、松下大三郎(1923)及び松下大三郎(1927)も松下文法を考える際、重要な位置にあると考え、これらも調査対象として加えることとし、受身の論からみても、松下大三郎の日本語教育の実践の立場も、文法三部作につながる松下文法を考える上では、一連の流れとして、必要不可欠であったことを述べる。

2.1.1 文法論Ⅰ期―1901年『日本俗語文典』の受身記述―

松下大三郎(1901)の文法研究のスタートの段階では、次のように述べ、「れる」「られる」の接続を中心に述べている。

被動とは他にせらるゝ作用をあらはす職任なり。人ニ行カレテ困ッタ、私ニ云ハレタッテイヽの行カレル、云ハレルなとの如し。被動をあらはすには四段活にはレルを附す、行カレル、云ハレルなとの如し。他の活の動詞にはラレルを附す。逃ケラレル、下リラレルなどの如し。加行佐行變格のスルといふ詞すりぎりシラレルといふべきをサレルということ多し。

2.1.2 文法論Ⅱ期―1906年『漢訳日語階梯』・1907年『漢訳日本口語文典』の受身記述―

松下大三郎(1906・1907)の日本語教育に関する時期の著作について、見てみることとする。松下大三郎(1906)では、「被動動詞」という項目の中に、受身と可能について述べている。このことから、受身から可能が派生したと考えているようである。受身については、
−レル   被・・―    為・・所
−ラレル  被・・―    為・・所
と示し、以下の例文をあげ、「コウイウ風ニ動詞ハ『レ』『レル』『ラレ』『ラレル』ヲ附ケルト事件ヲ被ル意味ヲ表ハシマス。ソレヲ被動ト云ヒマス。」と説明を加えている。

電車ノ中では注意シナイト掏兒(スリ)二掏ラレマス。
アノ人ハ泥棒ニ金ヲ盗マレタ。
利巧ナ人ハ人ニダマサレナイ。
ソンナデハ人ニ笑ハレル。
泥棒ガ巡査ニ洋刀(サーベル)デナグラレル。
マヅイ所ヲ見ラレタ。
勉強シナイト入学試験ニ撥ネラレマス。
罪人ガ牢ヘ入レラレル。
子ガ親ニ育テラレル。

松下大三郎(1907)では、「動助詞之意義」という項目の中で、「レル・ラレル之意義」として、次のように述べている。

レル・ラレルハ同ジデス。レルハ活用シテレ、レレトナリ、ラレルハ活用シテラレ、ラレレトナリマス。両方共三ツノ意味ガ有リマス。

また、この項目の中に受身・可能・尊敬について扱っており、受身については、「被、見、為其所ナドノ意味デス。遭トイウ字ノ意味ノコトモアリマス。他ノ物カラ被ル動作ヲ表ハスノデス。被動ノ動助詞ト云ヒマス。」と述べ、「レル・レ・レレ」「ラレル・ラレ・ラレレ」の例として次のように示している。

盗賊ニ着物ヲ偸(ヌス)マレル。
子供ガ御父(オトウ)サンニ叱ラレル。
人ニ笑ハレル。
泥棒ガ巡査ニ殴(ナグ)ラレマシタ。
私ハアノ人ニ怨(ウラ)マレマシタ。
私ハマダ入学ヲ許サレマセン。
病気ニ取リ附カレレバ医者ニ見テ貰ハナケレバナリマセン。
先生ニ指サレレバ立ッテ答ヘナケレバナリマセン。
私ハ去年妻ニ死ナレマシタ。
年ノ行カナイ母親ハ子ニ余リ泣カレルと自分モ一緒ニ泣キマス。
世ニハ年ヲ取ッテカラ子ニ捨テラレル親ガアリマス。
人ニ敬シテ遠ザケラレル。
私ハ少(チヒ)サイ時ニ親ニ別レテ伯父ニ育テラレマシタ。
夜晩(オソ)ク変ナ風ヲシテ町ヲ歩クト屹度(キット)巡査ニ調査(シラ)ベラレマス。
惘(ボン)然(ヤリ)シテ町ヲ歩クト自転車ヤ人力車ニ突(ツ)ッ懸(カ)ケラレマス。
人ハ誰デモ人ニ賞(ホ)メラレレバ慢心シマス。
此の頃ハ友達ニ頻(シキリ)ニ来ラレテ復習スルコトガ出来マセン。
客ガ主人ニ頻ニ酒ヲ侑(スス)メラレル。

2.1.3 文法論Ⅲ期―1923年『標準日本文法』・1927年『標準漢文法』・1928年『改選標準日本文法』・1930年『標準日本口語法』の受身記述―

この時期は、文法三部作といわれる一連の著作が書かれた時期である。鈴木一(2003)の指摘に従い、松下大三郎(1923・1927)も扱うこととする。特に、松下大三郎(1927)は日本語教育でも重要と考えられるので、以下、内容を見てみる。
「被動態」の種類について、『標準日本文法』(1923)、『標準漢文法』(1927)・『改選標準日本文法』(1928)、『標準日本口語法』(1930)を比較してみることとする。日本語の「被動態」の種類について整理し、本文で採用されている例文をあげてみると以下のようになる。

1923年『標準日本文法』
被動態は動作動詞に属する間接動態の一種であつて他物から其の動作を受けることを自己の形式的意義とし、其の受けた他物の動作を自己の動作の材料とした動作を表はすものである。・・〈中略〉・・被動は本来依拠性である。しかし自己被動では出発性にも用ゐ得る。「人に笑はる」「人に怨まれる」は「人より笑はる」「人から怨まれる」とも云へる。「盗賊の為に著物を盗まる」「雨に由つて出発を妨げらる」などいふのは矢張依拠性である。・・〈中略〉・・口語では「る」「らる」は下一段活で「れる」「られる」である。そうして特別ラ行変格と特別サ行変格は四段系ではあるが「れる」が附かない。口語ではサ行変格の「す」は被動性転活用で「される」となる。「殺害される」「買収される」などといふ風にいふ。これはもと「せられる」の約音であるが大抵は「される」の方を使ふ。人格的被動を表はす方法はまう一つある。其れは「・・て」の下へ「貰ふ」「戴く」を附け「行つて貰う」「教へて戴く」などの様に云ふのであるが、これは他人から受ける動作が自己の利益となることの意が深いので特に利益態と云ふ。
人格的被動
自己被動・・自己が動作を受ける
      人、盗賊に殺さる。小児、蜂に刺さる。
所有物被動・・他物の動作を自己の所有物へ受ける
       人、盗賊に物を偸まる。小児、蜂に顔を刺さる。
所有物自己被動・・所有物の動作を自己の利害として受ける
         父、子に死なる。妻、夫に遊ばる。
他物被動・・他物の自己に関係なき間接の被害と見る
         雨に降らる。自己は失敗して他人に成功せらる。
可能的被動
自然的被動
既然的被動
※他の例文
人、盗賊に「殺さる」(殺される)。・・[盗賊が人を殺す]
瀑に「打たるれ」ば涼し(打たれれば)。・・[瀑が打つ]
自ら軽んずるものは人に「軽んぜらる」(軽んぜられる)。・・[人が軽んずる]
人に「賞めらるれ」ば慢心す。(賞められれば)・・[人が賞める]
人、盗賊に物を「偸まる」。
妻、夫に「捨てらる」。
小僧、主人に「信用せらる」。
捨児人は「拾はる」。
植木、虫に「枯さる」。
兎、犬に「捕へらる」。
大阪大火の時或る消防隊はぐづぐづして居る内に軍隊に火事を「消され」てしまった。
お前はどうして入学が出来ないか。よその方ばかり「及第され」て悔しくはないかい。
子女を世間に出して人に「揉まれさす」。・・被動の使動
惜しき勇士を敵に「打たれしむ」べからず。・・同
下戸、人に酒を「飲ませらる」。・・使動の被動
小僧、夜主人に使に「行かせらる」。・・同

1927年『標準漢文法』
日本語では被動態を示すには「殺さる」「助けらる」などの様に動詞へ「る」「らる」といふ助辞を附ける。そうして被動態の用法が甚だ広い。自動でも他動でも非帰着動詞でも被動態になる。
自己被動     人、盗賊に殺さる。
所有被動     人、盗賊に物を偸まる。
所有物動作被動  父、子に死なる。
他物動作被動   雨に降られて家に籠る。
※日本語の例文は、この4例。

1928年『改選標準日本文法』
被動とは他から或る動作をされるのである。他物から其の動作を受けることを自己の形式的意義とし、其の受けた他物の動作の材料とした動作を表すものである。・・〈中略〉・・被動は本来依拠性である。しかし自己被動では出発性にも用ゐ得る。「人に笑はる」「人に怨まれる」は「人より笑はる」「人から怨まれる」とも云へる。「盗賊の為に著物を盗まる」「雨に由つて出発を妨げらる」などいふのはやはり依拠性を非依拠化して用ゐたのである。・・〈中略〉・・口語では「る」「らる」は下一段活で「れる」「られる」である。口語ではサ行変格の「す」は被動性転活用で「される」となる。「殺害される」「買収される」などといふ風にいふ。これはもと「せられる」の約音であるが大抵は「される」の方を使ふ。
下二段活  れ  れ  る  るる  るれ  れよ
同     られ られ らる らるる らるれ られよ
人格的被動
自己被動・・自己が動作を受ける
      人、盗賊に殺さる。小児、蜂に刺さる。
所有物被動・・他物の動作を自己の所有物へ受ける
       人、盗賊に物を偸まる。小児、蜂に顔を刺さる。
所有物自己被動・・所有物の動作を自己の利害として受ける
         父、子に死なる。妻、夫に遊ばる。
他物被動・・他物の自己に関係なき間接の被害と見る
         雨に降らる。他人に成功せらる。
可能的被動
自然的被動
※他の例文については、1923年『標準日本文法』と同じ例文が用いられている。例文の受身の箇所が括弧で示されていたものが、下線部示すという、表記の変更が行われている。

1930年『標準日本口語法』
被動とは或るもの(例、子ども)が他物(犬)からある動作を蒙ることをいふのであつて被動の被動たる所以は蒙ることそのこと(れる)をいふのである。蒙る所の材料(噛ま)をいふのではない。・・〈中略〉・・実質被動も形式的被動も活用語へ「れる」「られる」を附けることに由つて表される。「れる」「られる」は活用語の第一段へ附いて、共に一語を成し、被動の語を構成する。そうして「れる」は四段活系−四段、ラ変−へ附き「られる」は一二段活系−上一段、上二段、下一段、カ変、サ変−へ附く。この区別は使動に於ける「せる」と「させる」との別と同様である。「られる」がサ行変格の「為」へ附けば「せられる」であるが口語では「せられる」は約音で「される」となるのが普通である。この約つた「される」は一語となつてゐるから之を「する」に対する転活用といふ。
      第一段活 第二段活 第三段活 第四段活 第五段活
下一段活  れ    れ    れる   れる   れれ  
下一段活  られ   られ   られる  られる  られれ 
実質的被動・・被動の主体が実質的に客体から動作又は利害を被るもの
一、単純被動 旗が立てられた
    被動の主は非人称
    被動の客は非人称で客語がない
二、利害被動 子どもが犬に吠えられた
    被動の主は人格
    客は非人称
   動作を自己へ被る
     子どもが犬に噛まれる(他)
     子どもが犬に飛び附かれる(自)
   動作を自己の所有物へ被る
     武士が敵に刀を落とされる(他)
     武士が敵に手許へ飛び込まれる(自)
   所有物の動作に由つて利害を被る
     亭主が女房に癪を起される(他)
     亭主が女房に死なれる(自)
   他物の動作に由って利害を被る
     他人に名を成される(他)
     他人に成功される(自)
形式的被動・・客体の能力を受ける能力を表すに在る
三、可能被動 此の本が私に読める
    被動の主は非人称
    客(可能の主)は人格/客が大主にもなる
四、価値被動 此の酒が中々飲めるよ
    被動の主(価値の主)は非人称
    被動の客は一般人で客語ではない
五、自然被動 拙い字が書けた
    被動の主は非人格(自動ならば主語はない)
    被動の客は特定人で客語はない/客は大主にもなる
※他の例文
子どもが犬に噛まれる。(被動)    犬が子どもを噛む。(原動)
武士が大名に抱えられる。(被動き)  大名が武士を抱える。(原動)
花が風に散らされる。
女が薄情な男に捨てられる。
犬に飛びつかれる。
子どもに泣かれる。
大工が人に雇われる。
怠け者が人に信用されますか。
国旗は高く掲げられた。
国旗は水夫に由つて高く壇上に掲げられた。
家毎に門松が立てられた。
自治制度が布かれ国会が招集された。
店の改革が若主人に由つて企てられた。
かはいい子どもを世間へ出して人に蹂まれさせる。
下女が主婦に夜遅く使に行かせられる。

このように、「被動」の種類が次第に整理されてきていることがわかる。「自己被動」「所有被動」「所有物動作被動」「他物動作被動」が『改選標準日本文法』では、「人格的被動」と一括しているが、晩年の『標準日本口語法』では「利害被動」としており、「被動」の種類も増えて整理されて、次第に考えが深まっていった過程をみることができる。『標準日本口語法』では、受身を自動詞と他動詞および主語と客語の関係として整理しており、後の奥津敬一郎(1983)の自動詞と他動詞の受身の関係や金水敏(1991・1993)の受身文の主語や旧主語の人格・非人格性の研究方法に影響を与えている。
ここでの大きな特徴としては、「利害被動」という考えを打ち出していることである。受身というものを漢文訓読で述べたものを和文脈の中に適用したときに、「る」「らる」は漢文訓読の上ではすっきりと「受身」として分けることができたものが、和文でもその整合性をはかった結果、自発や可能も「被動」として一括して扱うこととなり、利害に絡むものとしての枠組みを設定する必要が生じたのであろう。この点から、松下大三郎は「る」「らる」を受身根源説でとらえていると考えられる。
松下大三郎(1927)は、漢文訓読としての受身について、「使動・被動を示す方法」として、
一、原動の詞がそのまゝ使役、被動の意味を帯びる場合
二、形式動詞を附加する場合
の二つを挙げて、使役を示す「使」や受身を示す「被」「見」「遭」「遇」の文字を形式動詞としており、「見」「遭」「遇」は、原動の主に対する依拠性がないために、動詞の下に「於」を置かないと受身では使用できないと述べている点は、文字の特性と構造に注目している点で鋭い考察である。さらに、受動態を「被動態」と呼び、その種類として、日本語では
自己被動     人、盗賊に殺さる。
所有被動     人、盗賊に物を偸まる。
所有物動作被動  父、子に死なる。
他物動作被動   雨に降られて家に籠る。
の四種類があるとし、そのうち、自己被動と所有被動は漢文にはあるが、所有物動作被動(他物の動作を自己へ被るもの)と他物動作被動(他物の動作を直接自己へ被らずに自己の所有物へ被るもの)はないとして、
自己被動  人被盗賊殺
所有物被動 人被盗賊偸物
の例をあげて、漢文の被動態と日本語の被動態との比較をしている。なお、「所有物動作被動」と「他物動作被動」は、現在では「迷惑・被害の受身」と言われ、広く知られているところである。松下大三郎(1923)では、「英語や漢文の被動は自己被動と所有物被動だけである」と記されている。
また、一般的には「−為−所−」も受身と考えて受動態とするところであるが、「所−」が名詞化しており、「為」は「その原動が名詞に由って表わされてゐる」ところから、「準被動態」と呼んで区別している。この記述は、現在では、モノとして主観に引き込む、名詞節・名詞句というものに気付いていることを示している。
そこで、鈴木一(2002)にもあるように、『標準漢文法』を別物としないで、『改選標準日本文法』の前に置いて、一連のものとして考えることができるという点に注目したい。鈴木一(2002)は、松下大三郎の動詞論と品詞論を扱う視点から『標準漢文法』の位置づけをとらえているが、本稿の受身の視点においても、『標準漢文法』を一連の流れの中に位置づけることができるのである。つまり、松下大三郎は漢文をベースにして、日本語文法を考えており、それを和文の中でも不整合を生じないように適応しようとした努力の結果があらわれているのである。さらには、そのスタートとしての松下大三郎(1901)の論から日本語教育としての松下大三郎(1906)の受身の論をその原型として、後の一連の著作に反映されている。その意味でも、日本語教育が松下大三郎の文法論の成立に果たした役割は、受身からもうかがえる。

2.2 松下大三郎の受身文の種類

松下大三郎が受身文としてあげている例文、および「れる・られる」の受身用法として扱っている受身文の種類を以下にまとめてみる。

   発行年
受身の種類 1901 1906 1907 1923 1927 1928 1930
直接受身  ○  ○  ○  ○  ○  ○  ○
間接受身(ヲ格)  ○  ○  ○  ○  ○  ○
持ち主の受身  ○  ○  ○  ○  ○  ○
迷惑の受身  ○  ○  ○  ○  ○  ○  ○
非情の受身  ○  ○  ○
自動詞の受身  ○  ○  ○  ○  ○
使役受身  ○  ○  ○  ○
動作主ニ格  ○  ○  ○  ○  ○  ○  ○
動作主カラ格  ○  ○
動作主ニヨッテ格  ○  ○  ○

○「れる・られる」についての記述
1901(口語) 1906(口語) 1907(口語) 1923(文語) 1927(文語) 1928(文語) 1930(口語)
○被・見・為・所についての記述
1907・1927
○能動文の設定
1923・1928
○約音の記述
1923・1928・1930

○1923と1928では、非情の受身については人格的被動として扱い、その例文は主語が「動物・植物」をあげている。1930では非情の受身とニヨッテ格を「単純の被動」としており、日本語本来の言い方ではないと述べている。
○1923・1928の受身の例文は網羅的であまり差し替えは行われていないが、受身についての定義の記述は大きく書き換えられている。
○1930ではカラ格は扱っていないが、記述は自他に注目し、その深化をみることができる。
○1906から1907への日本語教育としての深化がわかり、1907と1927は、日本語教育の流れであることがわかる。ここでも、松本亀次郎編集代表(1906)『日本語教科書』の松下大三郎に与えた影響の大きさが推測できる。松下大三郎(1906)『漢訳日語階梯』は、松本亀次郎編集代表(1906)『日本語教科書』の年と重なる。松本亀次郎(1906)『日本語教科書』には、松下大三郎も編纂にも関わっているため、松下大三郎の影響がある日本語教科書であるが、そればかりではなく、同時に松本亀次郎編集代表(1906)『日本語教科書』には、三矢重松なども関わっているため、網羅的であるといえる。松本亀次郎と松下大三郎との接点にあたる『日本語教科書』(1906)は、その後の両者の文法論に、大きな影響を与えたことが推測できる。


3. 結び−松本亀次郎と松下大三郎の受身の論について

松本亀次郎編集代表(1906)『日本語教科書』は、宏文学院長の嘉納治五郎によって松本亀次郎が編集の主任として任じられたもので、「例言」として次のように書かれている。

此ノ書ハ、本院所定ノ日本語教課細目ニ基キ、松本亀次郎氏、主トシテ之ヲ編纂シ、日本語科諸教授、特ニ三矢重松、難波常雄、臼田寿恵、穂苅信乃、佐村八郎、松下大三郎、菊池金正、小山左文二、鶴田賢次氏等ノ、校閲批評訂正ヲ、経タルモノナリ。又終始編纂ノ業ヲ助ケタルハ、山川友治氏ナリ。並ニ茲辞ニ記シテ、其ノ労ヲ謝ス。

この記述から当時の研究者の名前があがっており(注4)、松本亀次郎と松下大三郎との接点があり、両者とも『日本語教科書』の後の日本語教科書や日本語文法書の受身の記述の箇所に大きな変化が見られ、互いの影響を受けたことがわかる。その意味で、『日本語教科書』の与えた影響は大きいと考えられる。また、非情の受身の例文が『日本語教科書』には採用されているが、非情の受身についての記述の嚆矢は三矢重松(1908)とされている。その観点でみると、『日本語教科書』には三矢重松も加わっていることから、三矢重松(1908)において非情の受身の指摘を行う以前に、三矢重松が『日本語教科書』に非情の受身の例文の採用に影響を与えていた可能性もある。
以上、松本亀次郎と松下大三郎の受身の論と例文から、その特徴を調査してみた。その結果、松本亀次郎編集代表(1906)『日本語教科書』が、松本亀次郎と松下大三郎との大きな接点となっており、この年以降、受身文から見た場合、松本亀次郎は日本語テキストの例文の種類を整理していき、松下大三郎は文法三部作につながる基本的な考えを日本語教科書の中で示していることがわかる。その意味でこの年が、その後の両者の文法論の深化に大きな影響を与えていると推測できる。さらには、三矢重松などの多くの研究者の影響も加わり、その影響を両者に与えたとも言える(注5)。
『日本語教科書』以降の、両者のそれぞれの深化の歩みをみると、松本亀次郎は、日本語教科書として受身文の用例を増補したり、削除したりすることで、日本語教育という立場で、テキストにこだわって記述し、深化させていったことがわかる。一方、松下大三郎は、日本語教育の著作の中で、「る」「らる」に関しては、「受身」の用法を中心に据えて記述し、文法三部作につながる考えが記されていることがわかる。その意味で、『日本俗語文典』から文法三部作につながる日本語教育の時期は、日本語教科書として多くの例文を示し、深化させ、松下文法成立に大きな役割を果たした時期であることがわかる。


(注)
1
関正昭(1997b)では松本亀次郎の著作を網羅的に紹介し、関正昭(1997a)では、松本亀次郎(1919)は、松本亀次郎(1906)の姉妹編にあたる文法解説書であるとし、「口語文法書として実用性を重んじながらも、その術語や法則性の提示法はできるだけ一般文法家の慣用に従っており、留学生が将来へ向けて、より深く日本語の習得ができるよう道を開いている。松本亀次郎によって編纂された教科書は文法対訳(漢訳)を軸としており、その点で、戦前・戦中の日本語教育に影響を与えた山口喜一郎の直接法と対峙するが、その文法記述は先駆的であり、今日の日本語教育文法の源流として位置づけられるものである。」と述べている。また、松本亀次郎(1919)の「諸言」に「多年実地ニ教授セル所ノ稿本ヲ改訂シ、文法専門家三矢重松山根藤七両君其の他我が東亜高等予備学校講師ノ批正ヲ請ヒ、其ノ訳文ハ中華民国留学生徐箴苑乃安両君ノ改刪ヲ経、遂ニ脱稿スルニ至レリ」と書かれており、松本亀次郎(1906・1919)の姉妹篇は三矢重松が関わっていたことがわかる。
2
寺村秀夫(1982)・松岡弘監修(2000)・白川博之監修(2001)を参照に、日本語教育で扱う受身文を分類した。
3
徳田政信(2004)では、その「まえがき」において、松下大三郎の文法論を以下の三区分にしている。
第一期 『日本俗語文典』に代表される文法の出発点の時期。
第二期 中国人に対する日本語教育の実践から、内容の詳細化が進み、かつ分析的理論の徹底を求めて、要素論の方向に進んだ時期。
第三期 標準文法三部作の完成の時期。
4
久津間幸子(2006)では、『日本語教科書』(1906)から『改訂 日本語教科書』(1927)までのプロセスを指摘しており、『日本語教科書』の完成度の高さや、松本亀次郎の草稿に朱で三矢重松の意見が書き込まれていることが指摘されている。
5
関正昭(1997b)では、三矢重松の文法論にも、日本語教育実践経験の影響と見られる点があると指摘している。


(調査資料)
松下大三郎(1901)『日本俗語文典』誠之堂書房
松下大三郎(1906)『漢訳日語階梯』誠之堂書房
松下大三郎(1907)『漢訳日本口語文典』誠之堂書房
松下大三郎(1923)『標準日本文法』紀元社
松下大三郎(1927)『標準漢文法』紀元社
松下大三郎(1928)『改選標準日本文法』紀元社
松下大三郎(1930)『標準日本口語法』中文館書店
松本亀次郎(1904)『言文対照漢訳日本文典』中外図書局
松本亀次郎編集代表(1906)『日本語教科書 第一巻』東京金港堂書籍株式会社(吉岡英幸監修(2011)『松本亀次郎選集・第二巻』冬至書房所収)
松本亀次郎(1914)『漢訳日本語会話教科書』東京光栄館書店
松本亀次郎(1919)『漢訳日本口語文法教科書』笹川書店
松本亀次郎(1934)『詳解日語肯綮大全』有隣書屋(吉岡英幸監修(2011)『松本亀次郎選集・第六巻』冬至書房所収)
松本亀次郎(1940)『日本語会話教典』有隣書屋(吉岡英幸監修(2011)『松本亀次郎選集・第七巻』冬至書房所収)
(参考文献)
岩下裕一(2003)『「意味」の国語学 松下文法と時枝文法』おうふう
奥津敬一郎(1983)「何故受身か?」『国語学』132集
金水敏(1991)「受動文の歴史についての一考察」『国語学』164集
金水敏(1993)「受動文の固有・非固有について」『近代語研究』第9集
久津間幸子(2006)「松本亀次郎編集代表『日本語教科書』改訂までの足跡−教科書編纂プロセスを追う−」日本語教育史研究会発表資料(於慶應義塾大学
白川博之監修(2001)『中上級を教える人のための日本語文法ハンドブック』スリーエーネットワーク
鈴木一(2003)「松下大三郎著『標準漢文法』の国語学的考察−松下日本文法論の軌跡をたどる」『國學院雑誌』第103巻第12号
鈴木一(2006)『松下文法論の新研究』勉誠出版
関正昭(1997a)「松本亀次郎編 中国人留学生のための教科書−日本語教育文法の源流」『日本語教育史』アルク
関正昭(1997b)『日本語教育史研究序説』スリーエーネットワーク
寺村秀夫(1982)『日本語のシンタクスと意味Ⅰ』くろしお出版
徳田政信(1980)「日本俗語文典の特色と史的意義」『校訂・日本俗語文典(付)遠江文典』勉誠社
徳田政信(1975)「松下漢文法の成立と特色」『校訂解説・標準漢文法』勉誠社
徳田政信(1974)「松下文法への招待・その特色と構造」『改選標準日本文法』勉誠社
徳田政信(1977)「松下文法の原理と方法−口語法研究を中心として」『増補校訂・標準日本口語法』勉誠社
徳田政信(2004)「解説 漢訳日本口語文典の成立−近代口語研究三つの流れ−」『漢訳日本口語文典』勉誠出版
松岡弘監修(2000)『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』スリーエーネットワーク
三矢重松(1908)『高等国文法』明治書院
諸星美智直(2010)「松本亀次郎編著の日本語教科書類における当為表現の扱い」『言語文化研究』9号(静岡県立大学短期大学部静岡言語文化学会)