シュタイナーの業績

ルドルフ・シュタイナー
ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner 1861年2月27日−1925年3月30日(満64歳没))は、 オーストリア帝国(1867年にはオーストリア・ハンガリー帝国に、現在のクロアチア)出身の神秘思想家 。アントロポゾフィー人智学)の創始者。哲学博士。
1861年に現在のクロアチアの鉄道技師の家に生まれ、ウィーン工科大学で自然科学、数学、哲学を学んだのち、ゲーテの研究に取り組み、20代で注目を浴びた。1900年代からは神秘的な結社神智学協会に所属し、ドイツ支部を任され、一転して物質世界を超えた“超感覚的”(霊的)世界に関する深遠な事柄を語るようになった。「神智学協会」幹部との方向性の違いにより1912年に同協会を脱退し、自ら「アントロポゾフィー協会(人智学協会)」を設立した。「アントロポゾフィー人智学)」という独自の世界観に基づいてヨーロッパ各地で行った講義は生涯6千回にも及び、多くの人々に影響を与えた。また教育、社会学、芸術、医学、薬学、農業、建築学、自然科学など、多方面に渡って語った内容は、弟子や賛同者たちにより様々に展開され、実践された。中でも教育の分野において、ヴァルドルフ教育学およびヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)が特に世界で展開され、日本でも、世界のヴァルドルフ学校の教員養成で学んだ者を中心にして、彼の教育思想を広める活動を行っている。
○人物と業績
(文芸)
当時22歳の学生であったシュタイナーはゲーテの自然科学に関する著作を校訂し、序文を書く仕事を依頼され、13年間かけて完成させた。その成果は1897年に『ドイツ国民文学』という叢書の第一巻として出版された。このシュタイナーの業績は識者たちから大いに評価された。
(哲学)
ロストック大学(Universität Rostock)で哲学の博士号を取得し、その学位論文を編集して『真理と科学』GA3として出版した。
1894年には哲学的主著『自由の哲学』GA4を出版し、その5年後には自身のゲーテ研究の集大成として『ゲーテの世界観』GA6を出版したが、哲学の研究者たちからはほとんど評価を得ることができなかった。
自由の哲学」ではあるゆる哲学の試みを検討しつつも、複眼的視点においてその欠陥を確定し、別の観点を試みている。シュタイナーは伝記の中で、霊的な物の見方の準備をした試みを哲学において行ったと言い、その当時の自分の哲学を「客観的観念論」[要出典]と名づけた。霊的なものを受け入れる土台つくりに若い頃は励んでいた。自由とは結局、一つの物の見方より、より多くの物の見方を得た時のみ、得る事が出来るというような事を指示しているが、これがシュタイナーの言いたかった霊的なものへの暗示とも言える。
(霊的な知識・精神科学)
シュタイナーは、人間は「目に見えるもの=物質(からだ)」「目に見えないもの=精神(スピリット)」「魂(こころ)」から成り立っているととらえ、人間は、誕生から成人するまでの間、7年ごとに「物質(からだ)」「生命」「意識」「自我」という順序をたどって成長するととらえた。
シュタイナーによれば、人間の持っている通常の五感では事物の表面しか捉えることはできず、人間の死後に五感を越えたより高次の7つの超感覚(霊的感覚/器官・チャクラ)によって初めて、事物の本質を把握することができるという。そして、その超感覚は誰しもが潜在的に持っているものであり、生きている間は瞑想や思考の訓練によって引き出すことができるとした。ゆえに自分が語っている霊的な事柄も万人が確かめることができるものだとして具体的な修行法を本で公開した。しかし、霊媒や降霊術等の、理性的な思考から離れて感情に没入する“神秘主義”については、科学的でなく、間違った道であると警鐘を鳴らしていた。シュタイナーは「精神“科学”」という言葉にも表れているように、霊的な事柄についても、理性的な思考を伴った自然科学的な態度で探求するということを、最も重要視していた。この姿勢が降霊術などを用いたり、東洋の神秘主義に傾いて行った神智学協会と袂を分かつことになった原因の一つでもあった。
自著『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』では具体的な霊的体験を得るための修行法を描いているが、二部を作る前に世を去った。また自身が40歳になるまでは霊的な指導を引き受けなかったのは、40歳までに霊的な指導を引き受けると誤謬に陥り易くなるためだとも言う(発明は40歳までのは人類の道徳を退行させ、40歳以後は人類の道徳に貢献するものにもなる、と主張されている。)。
(社会改革)
人類史上初めての世界的戦争である第一次世界大戦後の最中にあって、戦争を初めとした社会問題の解決策として、「社会有機体三層化運動」を提唱した。社会という有機体を精神生活(文化)、法生活(政治)、経済生活の三つの部分が独立しながらも、精神生活においては「自由」を、法生活(政治)においては「平等」を、経済生活においては「友愛」を原則として、この3つが有機的に結びつくことが健全な社会のあり方であると説いた。当時のドイツの外務大臣を初めとする国家の指導者たちにこの提案を知らせたが、政治的に採用されるには至らず、長い間顧みられなかったが。1970年代後半ころ再び検討され出し、1980年代の西ドイツの緑の党 (Die Grünen)の創立理念に影響を与えた。
○教育
シュタイナーの教育は、「自由への教育」と呼ばれている。それは、勝手気ままな「自由」ということではなく、世の中の動きに惑わされず、自分で考え、行動できるという意味での「自由」であり、自己本位ではい、よい人間関係を築き、自分の責任を自由に果たしていける人間になることを目標にしている。
(学校教育)
シュタイナーの人間観に基づき、独自の教育を行う「自由ヴァルドルフ学校」は、1919年にシュトゥットガルトの煙草工場に付属する社営学校として開校された。この工場に働く労働者の子弟が生徒であったため、初等・中等教育および職業教育を行う総合学校の形態をとった。このタイプの学校がドイツ内外で次々に設立された。現在ドイツのそれらは自由ヴァルドルフ連盟に属している。ヨーロッパ地区では「ヴァルドルフ学校」または「ルドルフ・シュタイナー学校」と総称され、600校(うちドイツに200校)ほどが各国連盟ごとに存在している。日本およびアジア各国においては「シュタイナー教育」という呼称が一般的である。日本およびアジアには正規の連盟がなく、したがって認証の基準もないまま、各フリースクールが勝手に名乗っている現状である。シュタイナー学園(神奈川県相模原市藤野町)や東京賢治の学校自由ヴァルドルフシューレ(鳥山敏子代表)など数校が交流を試みている。ヴァルドルフ学校は自称のそれまでを含めると世界中に900校以上あるといわれる。
(幼児教育)
子供は全身が感覚器官だと考え、やわらかい素材を与えることを重視している。また、色の使い方としては、落ち着く色を重視しています。朝は太陽で目覚め、夜は暗くし、蛍光灯ではなく白熱灯のやわらかい光を重視しています。
黄色・・動きがある・光・にぎやか
青色・・静かさ・広がり・思考的
赤色・・あたたかさ
白色・・きつい色
シュタイナーは、1920年6月の、さきの学校での教員会議で「ほんとうは、幼稚園の頃から子どもを預かることができるとよいのです。子どもたちを受け持つ時間が長ければ長いほどよいのです。就学以前の子どもたちを受け入れることができるはずです。(中略)幼い子どもたちの教育の方が重要なのです」と発言するなど、幼児教育の重要性を説き、彼の指導のもと、E.M.グルネリウスによってシュタイナー幼稚園を設立する意向であった。しかし、彼の存命中に叶わず、亡くなった翌年の1926年にグルネリウスらによって、シュタイナー教育の理念に基づく幼稚園が始まった。
幼児期のテーマは喜びであり、ファンタジーやイメージを重視している。一人の人間は、人類の歩みをそれぞれ繰り返して大人になるという考え方をしている。
7歳まで・・メルヘンの時代・・昔話でモラルを自然と受け取る
7から8歳・・寓話の時代・・動物などの主人公に自分を重ねる
8から9歳・・神話の時代・・自分の生きている世界への好奇心が目覚める
中学生・・大航海時代・・世界を発見していく
(治療教育)
障害を持つ子供達を受け持っていた学生たちがシュタイナーから受けた助言をもとに、ドイツのイェーナ近郊に治療教育施設「ラウエンシュタイン治療教育院」を作った。ちょうど同じころスイス・アーレスハイムの臨床治療院(現在はイタ・ヴェークマンクリニックと呼ばれている)では、心身に何らかの障害を持つ子どもたちが入院し、その入院施設が後に発展して、1924年に治療教育施設「ゾンネンホーフ」が成立した。シュタイナーは治療のために薬以外にも、音楽、絵画、彫塑、オイリュトミーなどの芸術や宗教による特別の教育を示した。イギリスにおいては治療教育は、シュタイナー教育の代名詞と言われるほど評価が高い。
(七年周期による教育)
シュタイナーによれば人間は7年毎に体を完成させてゆき、63歳で成長の頂点を迎えるとしています。
7歳までを肉体(意志→感情→思考の順番で成長)、14歳までをエーテル体、21歳までをアストラル体の完成とし、それ以降は自我が独立して発達するとし、それ以前の期間を教育が必要な時期としました。
また、42歳を境目に、次の三つのタイプに分かれるとしています。
  1体とともに、魂も衰える。
  2無理して若さを保とうと突っ走って成長が止まる。
  3意識的に人生に取り組み、精神性とともに上昇する。
「誕生・新しい生活のはじまり」
子供の自我は、妊娠10日から16日目に受精卵の中に入ってくる。
「第一期・体の成長」
0−7歳・・0歳から2歳は脳の発達期、2歳から5歳は胴体の発達期、5歳から7歳は手足の発達期
歯の生え変わりまでは体づくり
7−14歳
豊かな内面生活と関係づくりのはじまり
14−21歳
人生への衝動と葛藤の時期
「第二期・魂の成長」
21−28歳
新たな世界や自分の壁との出合い
28−35歳
人生を組み立て、地にしっかりと根付く時期。
35−42歳
より本質に向かって意識的に生きる
「第三期・精神的・霊的成長」
42−49歳
経験を伝え、新たな分野でも活躍。
49−56歳
自分本来の心の声に耳をすます
56−63歳
人生を振り返り、洞察を深める時期。
63歳以降
叡智の輝きを放つことができる時期
(体・野菜・3つの器官の対応)
頭(神経感覚系)=根
胸(リズム系)=葉
四肢・下腹部(代謝系)=花(種)
(四つの気質)
シュタイナーは四体液説の粘液の分類を取り入れており、自我が優勢な胆汁質、アストラル体が優勢な多血質、エーテル体が優勢な粘液質、肉体が優勢な憂鬱質があり、それぞれの気質の中心によって、子供を分類して対応を変えている。この気質は誰もが四つ持っているが、優勢なものが一つあるが、個人における四気質を調和へと導くことが教育の課題であるとしている。
1胆汁質
エネルギッシュ。正義感あふれ行動的だが、興奮しやすく、自分の思うようにならないと、暴れたり、暴力的になることもある。
2多血質
明るく、子供らしい。何度言ってもすぐに忘れる。叱ってもあまり傷つかないが、理解もしていない。
3粘液質
何をするにもゆったりとしている。内側にファンタジーをたくさん持っている。消化器が順調だと気分が良く、食べることが好き。
4憂鬱質
芸術性が高い。考え深いので、親を困らせないが、神経質で本人はささいなことで、傷つけやすい。
(音楽の四要素)
シュタイナーは音楽の四要素と発達との関連を見出した。特に、メロディーと出会うことで思考を発達させるとした。
メロディー・・思考と関わる
リズム・・手足に働きかける
ハーモニー・・感情に働きかける
タクト(拍子)・・骨格と関わる
また、シュタイナーは五度の気分の階層が好きであるとしました。「五度の気分の階層」とは、7音でできた曲のことです。レ・ミ・ソ・ラ・シまでが「ペンタトニック」と言われる音階で、世界共通で、わらべ歌はこの5音でできているといわれています。この5音の先に、レ・ミを加えた7音でできた曲のことをシュタイナーは、「五度の気分の音階」としました。また、シュタイナーは、ラを太陽の音・黄金の音・心臓の音などと呼び、人間の中心を示す音としました。
(オイリュトミー)
音や言葉の質を身体の動きによって表現する独自の芸術を考案した。これはシュタイナー教育のカリキュラムや障害児に対する治療教育にも用いられている。
(建築)
自分達が内部で行うにふさわしい建物の形が必要だとの考えから、シュタイナーがゲーテアヌムと呼ばれる独特の形姿を持つ建物の設計を行った。最初に建設されたゲーテアヌムは、2つの天蓋が有機的に交わる木製の建築物だったが、火事により消失。現在はミュンヘンのピナコテーク・デア・モデルネに模型が置かれている。
第二ゲーテアヌムについては、彼自身が粘土で模型を制作、現場で建築作業を直接指導し、小ドームの絵の大半を自ら描いた。普遍アントロポゾフィー協会(一般人智学協会)があり、人智学運動の中心地となっている。
(芸術観念)
シュタイナーは芸術を感覚界における超感覚界の表現だとしており、美は理念(イデア)の表現ではなく、表現によるイデアそのものだとしている。美的な体験はアストラル体(感情、感受的心魂の表現)を通じるものだとし、芸術によるいくつかの療法も行っている。
(医学)
シュタイナーは医師や薬剤師、医学生などを前に自らの霊学に基づく医学に関する講演を多く行った。また医師たちの診療に同行し、助言を与えたりした。その結果、オランダの女医イタ・ヴェーグマン博士の主導で、「臨床医療研究所」や製薬施設が作られた。シュタイナーが示した治療法や薬剤に関する示唆は多くの医師の関心を呼び、研究がなされ、様々な国で薬剤が生産されるようになった。その一つが現在、シュタイナーの理念に基づいて、自然の原料のみを使った化粧品や食品を製造している会社「Weleda」(ヴェレダ)である。
(農業)
シュタイナーは有機農業のような地球次元だけでなく、天体の動きなど宇宙との関係に基づいた「農業暦」にしたがって、種まきや収穫などを行うという自然と調和した農業、「バイオダイナミック農法」(ビオダイナミック、ビオディナミとも、BIO-DYNAMIC)を提唱した。
ヨーロッパを初め世界各国で研究・実践されている。シュタイナーの農業理念に基づいて設立されたドイツ最古の認証機関であるデメター(demeter)は有機農法の連盟の中でも代表的な団体であり、厳格な検査によって、バイオダイナミック農法の商標の認証を行っている。日本では1985年に千葉県(現在は熊本県)の農場で「ぽっこわぱ耕文舎」が日本で初めて「バイオダイナミック農法」を始めた。
(宗教刷新)
神学者たちや宗教に関心を持つ学生たちのキリスト教改革の求めに応じて、神学についての講義を行い、新しいキリスト教秘跡の儀式を伝授した。それらを元に司祭たちが宗教革新運動を始め、キリスト者共同体が設立された。運動の中心は司祭の養成学校のあるドイツのシュトゥットガルトで、イギリス、オランダ、スカンディナヴィアにもある。全ての人種、民族、宗教、国籍、性別、階級、信念などから独立しているアントロポゾフィー創始者である彼が、特定の宗教団体(つまりここではキリスト教)の設立に助力をするという行動は、例外的なものである。この団体は普遍アントロポゾフィー協会(一般人智学協会)から独立したれっきとした宗教組織で、シュタイナーはこの組織に属さないで外部から司祭達に助言を与え続けた。