日本語文法学史小考〜受身の視点

日本語文法学史小考−受身の視点
要旨

富士谷成章は、構造主義的ではないとされてきたが、『あゆひ抄』には、構造主義的であると思われる記述が見られる。また、国学者の系統は、「る」「らる」を接尾語として扱い、洋学の系統では、助動詞として扱っている。
山田孝雄は『日本文法論』で、受身は全般に状態性が本質であるとした。それは、受身ではなくて、自発として考えており、「猫をつかまえる」が「猫がつかまえられる」になるような場合、主客の転換が起きる理由が説明できなくなる。
松下大三郎は、『標準漢文法』を出発点として、その次の『改選標準日本文法』、そして『標準日本口語法』と順を追って読むことができ、整理されている。また、名詞に主観表現がつくケースに気付いてはいるが、うまく説明しきれていない。
橋本進吉は、助動詞の相互承接の視点から、動詞の下に「る・らる」が位置するとした。非情の受身の本質は状態性にあるとすることに、すでに気付いていたと思われる記述がある。
佐伯梅友は、無生物主語の受身を「非情の受身」と名付け、日本語非固有と考え、古典での非情の受身は認めない方針をとるが、助動詞として扱い、洋学と国学との整合性をとろうとしている。
時枝誠記は、「る・らる」を接尾語とした。また、「語としては、客体的な事物の特殊な把握を表現してゐる」と説明している。これは、近藤泰弘氏の言う、「話し手の主観的な表現」という捉え方できれいに説明できる。
渡辺実は、「れる・られる」は乙種(受身・過去などの意義において述語の統叙を補佐し、職能的に用言に下接し、受身動詞や回想動詞を派生する接尾辞)・第一類(述語の一部でしかないもの)の助動詞に分類し、述語の一部とした。
北原保雄は、文構造の面から「受身」と「可能・自発・尊敬」とを分けて考えた。
近藤泰弘は、状態性を「話し手の主観的な表現」としたことで、状態性というものがはっきりと定義付けられ、非情の受身も説明できることとなった。