細江逸記のヴォイス論再考

全国大学国語国文学会発表資料(2018.6.3於二松學舍大學)

細江逸記のヴォイス論再考

國學院大學兼任講師・大東文化大学非常勤講師
岡田 誠

 序
細江逸記は、英語学の泰斗として知られているが、国語学にも多大な影響を与え、戦前・戦後の国語学の論文等では「中相概念」・「き」「けり」の論で引用されてきた。特に、細江逸記(一九三二)『動詞時制の研究』は頻繁に引用されてきた。しかし、その国語学の背景を知るには、拙稿(二〇一七)でも論じたように、「中相」について提唱した、細江逸記(一九二八)「我が国語の動詞の相(Voice)を論じ、動詞の活用形式の分岐するに至りし原理の及ぶ」(『岡倉先生記念論文集』)にその原型があり重要である。この論文は、近年では引用されることの少ない論文であるが、この論文を晩年、大幅に加筆したものとして、細江逸記(一九四四)「我が国語の動詞の『話相』(Voice)並びに動詞活用形式分岐の初期相に就いて」(『大阪商科大学・同経済研究所 経済学雑誌』第一四巻三号)の存在がある。この論文はほとんど知られておらず、参考文献で示されることさえ稀である。この中での文法観は変わることはないものの、細江逸記の国語学はヴォイス論から始まり、ヴォイス論で終わることがわかり、国語学の深化がわかる。本発表では、これまで扱われることのなかった細江逸記の晩年のヴォイス論を紹介し、その内容を検討することで、細江逸記に影響を与えた英語学・国語学の淵源を探っていく。なお、本発表では、初期のヴォイス論を「前期ヴォイス論」、晩年のヴォイス論を「後期ヴォイス論」とし、国語学という名称で扱われていた当時の状況から、日本語学ではなく、国語学と表記することにする。

一 『動詞職能論』の存在と岡倉由三郎
 前期ヴォイス論ではヴォイスを「相」としているが、後期ヴォイス論では「話相」としている。この当時、ヴォイスを「相」としているものが一般的であるが、「話相」としているものは管見には入らないものである。この点については、話し手の視点という、テンス・ムード一体論の細江逸記のこだわりを感じるところである。
全体の総頁数は、前期ヴォイス論が三五頁で横書き、後期ヴォイス論が五一頁で縦書きである。このように、大幅に加筆されていることがわかる。目次を見ると以下のようになっており、章立ては同じであるが、多少、各章のタイトル名を変更してある。
(初期ヴォイス論・一九二八年)
    Ⅰ 序言
    Ⅱ 印欧語の動詞のVoiceを瞥見す
    Ⅲ 我が国語の動詞の相の真相
       (A)「中相」及び「所相」の発達及びその意義
       (B)「所相」の運用
Ⅳ 活用形式分岐の原理
    Ⅴ 跋語
(後期ヴォイス論・一九四四年)
    一 序言
    二 印欧語瞥見
    三 我が国語の話相
        (イ)中相並に所相の発達とその意義
        (ロ)所相の運用とその本義
    四 動詞活用形式分岐の初期相
    五 結語
追記
この二つの論文は内容的には、拙稿(二〇一七)でも述べたように、以下の三点がこの論の特徴的な点である。これは、多少の加筆はあるものの、前期ヴォイス論、後期ヴォイス論、ともに基本的に共通している。
一 上代の「ゆ」以前、つまり文献以前の時代に「原始中相」というものがあり、そこから、「自動詞」「勢力」「所相」と発達し、「勢力」から自然勢、能力、敬語と発達した。その痕跡は、「おぼゆ」などに残るとする。

  
三 
二 日本語の受身は純粋な所相ではない。また、中相を考え
れば、自動詞の受身の存在も理解できると述べた。
  三 金田一春彦以前に、アスペクトの存在を主張した。
このヴォイス論は、どのような成立過程を持っているのかについて、それぞれのヴォイス論の助言には以下のように示されている。
(前期ヴォイス論・一九二八年)
この小論文は、予自身の菲才浅学なると、今一ツは紙数の限られて居る為とで極めて不完全なものであるが、予の研究の一端として此芽出度き機会に於て、啻に英語学者英文学者のみならず日本文法学の先達でもあられた我が師岡倉先生に深厚なる敬意と共に捧ぐることを許され度い。(九六頁)
(後期ヴォイス論・一九四四年)
此小論文は私が大正七年に纏めた『動詞職能論』(未発表)の一部を成し、曽て極めて限られたる範囲内に少しく発表したこともあるのであるが、愚考に紹介の栄を恵まれた二三の専門学史をみると逸要の憾みがないでもないので、茲に勧めらるるままに同じ問題を掲げ、補ふに新知を以てし再び国語学界に見ゆることとした次第である。(一四六頁)
このように、二つのヴォイス論の序言から、未公刊の『動詞職能論』というものがあり、その一部を発表したものであることがわかる。
また、岡倉由三郎の名前があがっているが、細江逸記(一九三二)『動詞時制の研究』にも以下のように岡倉由三郎の名前があがっている。
私が此研究を進めるに至った動機は大正六年九月某日岡倉由三郎先生を雑司ヶ谷のお宅にお訪ねしたとき、先生の座談に暗示を得たことにあるので、先生は夙に私の言ふことに類した区別を「き」と「けり」との間に認めておられるように思う。(一二七頁)
細江逸記の英語学の指導教授は、音声学で知られた片山寛であ
るが、東京外国語学校にも講師で岡倉由三郎は出講していた時期もあるため、国語学の知見は岡倉由三郎から得たものが多いという可能性が高い。北原保雄(一九九五)は、岡倉由三郎の自宅には多くの日本語関連の蔵書があったことを指摘している。
また、『動詞時制の研究』には、以下の記述がみられる。
この論の骨子は、私が昭和三年七月に岡倉先生還暦祝賀の記念論文集に寄せた『我が国語の相(Voice)を論じ、動詞の活用形式の分岐するに至りし原理に及ぶ』と題した小論文とともに、私が大正七年にまとめた『動詞職能論』の一部を成すものである。・・〈中略〉・・我が国語の動詞の相に関する論文が、実は拙き要約的のものであつたにも拘はらず、・・(二頁)
これらの記述から、未公刊の『動詞職能論』という体系的なものがあり、それが全体を俯瞰できるものであることがわかるのである。また、この論を作成するにあたり、「烏滸がましくも二十数カ国の言語を動員した」(二頁)と述べられており、まさに世界の言語を俯瞰したものであることがわかる。
このように岡倉由三郎の国語学の影響、そして未公刊の『動詞職能論』というものが、細江逸記の国語学の基本的な体系であることがわかり、その体系に最も近いものが、前期・後期ヴォイス論であることがわかる。細江逸記の追悼号(『英語青年』一九四七年六月号)には、細江逸記の略歴が掲載されており、以下の記述がある。
日本語教育振興会研究嘱託として昭和二十一年に「平安朝文語文法の新研究」をなした事にも一層よく窺はれると思ふ。又「日本古代文化の紹介」にも従事しておられたこともある。 (二一二頁)
この記述にある「平安朝文語文法の新研究」は未公刊であるが、『動詞職能論』と同様に、体系的なものであることが予想され、『動詞時制の研究』『動詞叙法の研究』の著述をなした後のものであるだけに、注目したいところである。

  

このように前期・後期のヴォイス論、『動詞時制の研究』の記述には細江逸記の国語学がよく反映されている。また、『動詞叙法』の研究では、拙稿(二〇一七)で述べたように、『動詞叙法の研究』は、「き」「けり」に「叙想」の力を認め、「む」「べし」についても論じている。しかし、テンス・ムードは別個ではないと論じた、英語学の業績として取り上げられることが多い。しかし、「き」「けり」の論の普及に影響を与えたといわれている、木枝増一(一九三八)では、『動詞時制の研究』『動詞叙法の研究』を取り上げている。このように後期ヴォイス論と『英語青年』を資料に加えることで、細江逸記の国語学の業績の順序を以下のように整理することができる。
一九一八年『動詞職能論』(未公刊)
一九二八年「我が国語の動詞の相(Voice)を論じ、動詞の活用形式の分岐するに至りし原理の及ぶ」
一九三二年『動詞時制の研究』
一九三三年『動詞叙法の研究』
一九四四年「我が国語の動詞の『話相』(Voice)並びに動詞活用形式分岐の初期相に就いて」
一九四四年「平安朝文語文法の新研究」(未公刊)
整理してみると、細江逸記の国語学はヴォイス論で始まりヴォイス論で終わるという特徴がある。また、その体系的に示したと考えられる著作は未公刊であることも注目してよいであろう。さらには、途中、国語学の著作を示さない時期が、一九一八年から一九二八年と一九三三年から一九四四年の二回、それぞれ約十年ずつあることも注目してよい。この二回の国語学の中断の時期は、佐藤道子(一九八八)の調査による業績一覧を見ると、『英語青年』を中心に精力的に英文法の論文や著作を示している時期である。後期ヴォイス論にも示されているように、外国語との比較で示された細江逸記の国語学の論は加筆されてはいるものの、基本的な考えは生涯変わることはなかったと言える。



二 細江逸記が参考にした人名と著作
拙稿(二〇一七)では、前期ヴォイス論には数多くの国学者国語学者・西洋人の日本語研究者の名前があげられている。その意味でも前期ヴォイス論を見ると、細江逸記の参考にしたものがわかることを示した。以下には、前期ヴォイス論で示されたものを基本として、後期ヴォイス論でも示されているものについては太ゴチックで示し、後期ヴォイス論で新たに加えられたものについては、□で示した。
賀茂真淵全集』巻三 本居宣長 『詞やちまた』 鹿持雅澄
大槻文彦『廣日本文典』『別記』 今泉定介『竹取物語講義』
岡倉由三郎 金澤庄三郎『日本文法論』『日本文法新論』
山田孝雄萬葉集講義』『奈良朝文法史』『日本文法論』
『日本文法学概論』
三矢重松『高等日本文法』 折口信夫 草野清民『日本文法』 
藤岡作太郎『国文学全史 平安朝篇』 大島正健
今泉忠義『国語発達史大要』 宮良当壮八重山語彙』
ホフマン アストン チェンバレンThe Japanese Language
サンソム イェスペルセン カーム スウィート
このように整理してみると、後期ヴォイス論で新たに加えられたのが、鹿持雅澄・折口信夫今泉忠義、そして山田孝雄『日本文法学概論』であることがわかる。
細江逸記の国語学には岡倉由三郎が大きく影響しているため、岡倉由三郎の師であるチェンバレンをはじめ、ホフマン、アストンの著作があがるのは自然である。この他に、最後の国学者とされた山田孝雄の著作が与えた影響は強いことがわかる。その関連でみると、賀茂真淵本居宣長、三矢重松、山田孝雄折口信夫今泉忠義といった国学の系統のものを参考にしていることがわかる。なお、細江逸記は、金澤庄三郎のことを批判的に扱っている。このことから、細江逸記が継承している国語学は、チェンバレン、岡倉由三郎の系統のものと、本居宣長山田孝雄国学の系統のものとから成立していることがわかる。特に山田孝雄については、『動詞時
制の研究』に以下の記述がある。
やうやく明敏なる見解を下さんとせられた学者は草野清民氏 であつたが、不幸にして氏は夭折せられたので充分に氏の説を聴くことが出来ないのは私の最も遺憾とするところである。・・〈中略〉・・氏に次で、更に数歩を進め牢固たる立場を保持して明透なる学説を立てられたのは今の東北帝国大学教授山田孝雄氏で、殆んど暗中模索の状態にあつた私の眼に一条の光明を与へたものは実に私が明治四十三年頃に読んだ博士の名著「日本文法論」であつたので、私は終生無限の感謝を未見の恩師山田孝雄博士に捧ぐるであらう(三六頁)
このように、山田孝雄の文法論によって大いにその文法観が変わったことを述べている。師という記述がなされるのは、岡倉由三郎と山田孝雄の二人である。岡倉由三郎は直接師事した間柄であるのに対して山田孝雄には会ったことはないがその著作から大いに学び恩師とし、後期ヴォイス論でも山田孝雄が『日本文法論』をさらに整理した形で示した『日本文法学概論』を追加していることは重要である。岡倉由三郎の著作からの引用がないのは、岡倉由三郎の国語学関連の著作は音声学が中心であり、用言及び助詞・助動詞の分類・整理に重点があるため、それぞれの個々の考察は行っていないことが考えられる。

  三 『英文法汎論』と『動詞職能論』
細江逸記の体系的な英文法の著作として、細江逸記(一九一六)『英文法汎論』がある。『英文法汎論』で英語学者として細江逸記の存在が広く知られるようになった重要な著作で、アニアンズの流れを汲み、英語教育の世界で五文型を定着させたと評価されている。國弘正雄(一九七〇)はこれをテキストとして使用してきたこと(一〇九頁)を述べ、渡部昇一(一九九六)は上智大学のテキストとして使用してきたこと(四三頁・二〇四頁―二〇六頁)を述べている。
『英文法汎論』は未公刊の『動詞職能論』の二年前に出版されて
いる体系的な英文法の著作であるが、その目次には日本語との比較は立項されておらず、純然たる英文法を扱っているものである。また、『英文法汎論』の例文に日本語訳は施されていないが、細江逸記の英語学としては最後の著作となった『精鋭英文法汎論』には日本語訳が施されている。『精鋭英文法汎論』(一九四二年)の第一巻までの出版で亡くなってしまったため、完成はしていないが、『英文法汎論』で英文法の体系性から始まり、晩年再び、『精鋭英文法汎論』で英文法の体系性を加筆して終えていくのは、細江逸記の国語学においての『動詞職能論』・前期ヴォィス論から始まり、「平安朝文語文法の新研究」・後期ヴォイス論で終わることと共通したところがある。その間に軽井沢夏期大学会(会長は新渡戸稲造と記されている〈『動詞時制の研究』四頁〉)で一九三一年に行った講義の内容をもとに、『動詞時制の研究』『動詞叙法の研究』がなされたものである。『動詞時制の研究』には二頁で『動詞職能論』と前期ヴォイス論に骨子の記述がある他に、以下のような記述がある。
此小論考は私が軽井沢夏期大学会の求めに応じて、本年八月七日より同十日に亘つて成したさゝやかなる講演の原稿に、幾多説明的な筆を加へ、例文の追加をなしたもので、茲に会の首脳者と出版社との一致せる希望に基づいて之を上梓し、以て広く世に問ふこととしたのである。(『動詞時制の研究』一頁)
また、『動詞叙法の研究』では以下のように述べている。
此小著は、私が本年八月七日より同十日に亘つて軽井沢夏期大学に於いて試みた四回講演の原稿を基とし、更に整理を新たにし、幾多の事項を追加したもので、茲に諸方面より勧説に遵つて公けにするものである。(『動詞叙法の研究』一頁)
これらの記述を考えると、『英文法汎論』で体系性を示したのちの軽井沢夏期大学会での講演は、『動詞時制の研究』『動詞叙法の研究』につながり、細江逸記の英語学の根幹に当たると考えてよいであろう。以下に順番に整理してみる。

一九一六年 『英文法汎論』
一九三二年 『動詞時制の研究』
一九三三年 『動詞叙法の研究』
一九四二年 『精鋭英文法汎論』
細江逸記の英語学と国語学の体系性という視点で考えてみる
と、英語学は『英文法汎論』、国語学は未公刊の『動詞職能論』にその基礎があると言える。

  結
本発表では、従来、参考文献でも示されることが稀である細江逸記の後期ヴォイス論、すなわち、細江逸記(一九四四)「我が国語の動詞の『話相』(Voice)並びに動詞活用形式分岐の初期相に就いて」を資料として、『動詞時制の研究』に加えることで新たに細江逸記の論の淵源として見えてくるものがある点を報告した。そこからわかることは、未公刊の『動詞職能論』は体系的な細江逸記の国語学が示されているものであり、その『動詞職能論』にもっとも近いものが、前期ヴォイス論、後期ヴォイス論であることである。また、細江逸記が影響を受けた国語学は、前期ヴォイス論、後期ヴォイス論の参考文献・引用文献などから、チェンバレン、岡倉由三郎の系統のものと、本居宣長山田孝雄国学の系統のものであることがわかる。
その一方で、英語学者としての細江逸記の研究においても、『英文法汎論』ではじまり、『精鋭英文法汎論』で終わるという、体系性を意識していたことがわかるが、それは国語学でも、『動詞職能論』(未公刊)・前期ヴォイス論から始まり、「平安朝文語文法の新研究」(未公刊)・後期ヴォイス論で終わることとも、体系性から始まり体系性で終わるという点で共通している。英語学も国語学も、体系性を重視していたことがわかるのである。音声学で著名な片山寛が指導教授ではあったが、師として記載されている、国語学者から始まり英語学者に転じていった岡倉由三郎の流れを汲むと言えそうである。ただし、岡倉由三郎は国語学から始まり、


英語・英語学でその生涯を終えたが、途中、国語学の中断の時期はあるものの、細江逸記は英語学から始まり英語学・国語学でその生涯を終えた点は異なると言える。

(主要参考文献)
今泉忠義(一九三一)「助動詞る・らるの意義分化」『國學院雑誌』三号
岡田誠(二〇一七a)「細江逸記の国語学」『新國學』復刊九号
岡田誠(二〇一七b)「日本語学史・国語教育史における岡倉由三郎の再評価」「二松學舍大學人文学会(第一一六回)」口頭発表資料
小川芳男(一九四七)「細江逸記博士」『英語青年』第九三巻六号
加藤浩司(一九九八)『キ・ケリの研究』和泉書院
加藤道子(一九八八)「細江逸記」『近代文学研究叢書』第六一巻
木枝増一(一九三八)『高等国文法新講 品詞篇』東洋図書
北原保雄(一九九五)「解説」『草野氏日本文法 全』勉誠社
金田一春彦(一九五〇)「国語動詞の一分類」『言語研究』(『日本語動詞のアスペクト』麦書房所収)
金田一春彦(一九五七)「時・態・相および法」『日本文法講座Ⅰ』明治書院
國弘正雄(一九七〇)『英語の話しかた』サイマル出版会
草野清民(一九〇一)『草野氏日本文法 全』勉誠社
中島文雄(一九四七)「細江先生のこと」『英語青年』第九三巻第六号
田吉太郎(一九五六)「動詞の相に関する考察」『国語と国文学』第八巻八号
細江逸記(一九一六)『英文法汎論』泰文堂【テキストは篠崎書林(一九九九)の改訂新版】
細江逸記(一九二八)「我が国語の動詞の相(Voice)を論じ、動詞の活用形式の分岐するに至りし原理に及ぶ」『岡倉先生記念論文集』研究社


細江逸記(一九三二)『動詞時制の研究』泰文堂
細江逸記(一九三三)『動詞叙法の研究』泰文堂
細江逸記(一九四四)「我が国語の動詞の『話相』(Voice)並びに
動詞活用形式分岐の初期相に就いて」『大阪商科大学・同経済学研究所 経済学雑誌』第一四巻三号
三矢重松(一九〇八)『高等日本文法』明治書院
宮良当壮(一九三〇)『八重山語彙』【テキストは『宮良当壮全集8』甲編・乙編(第一書房・一九八〇)】
山田孝雄(一九〇八)『日本文法論』宝文館
山田孝雄(一九三六)『日本文法学概論』宝文館
渡部昇一(一九九六)『英文法を撫でる』PHP研究所