小論文の学習参考書

藤田昌弘 樋口裕一

藤田昌弘の『小論文ミニマム攻略法』(旺文社)は、それまで新書などで得ていたテーマごとの知識を整理した点で画期的であった。また、樋口裕一は『読むだけ小論文』(学研)で、さらにわかりやすく知識を提供し、『型書き小論文』(学研)で文章の展開を示した。これらは、小論文の教育に大きな影響を与えた。それまでの文章規範のタイプからの大きな転換になったといえる。

長所としては、テーマごとに必要な知識を提供し、型を決めたという点である。このテーマは、これを示すというパターン分けをし、テーマごとの必要最小限の知識を提供した点で評価できる。

短所としては、パターン化しすぎているため、純粋に応用力が問われたときには柔軟性が欠如してしまうという点があげられる。個性がなくなり、画一化した形になってきたという傾向を生み出している。

 

現代文の学習参考書-渡辺実・板野博行-

渡辺実 板野博行

 渡辺実は、日本を代表する文法学者として知られ、教科書の編纂も行った。訓点語の研究者である遠藤嘉基との共編になる『現代文解釈の基礎』『現代文解釈の方法』(中央図書)は、現場の教員にも読まれた。京都大学の生み出した文法学者は、西田哲学や田辺哲学を読みこなしているので、独特である。渡辺実の教え子が、板野博行のゴロゴ現代文のシリーズである。日本語の構造や文体に焦点をあて、渡辺実の文体判定を公式化したのが板野博行である。

長所としては、文体論的である点である。語学的な分析がなされている。解釈の方法として、文体を見ていくという方法論である。日本語を論理的に見ていくという方法である。

短所としては、日本語を論理的にみていくことに特化しているために、内容を読む楽しみが軽視されがちで、さらには、設問へのアプローチに問題があり、果たして現代文の点数に直結するのかという疑問が残る。内容軽視ともとらえられかねないものとなっている。特に板野博行のように、日本語の構造に分解しすぎていく方法は、意味があるのであろうか。たいへん疑問が残る。内容的にバリエーションに富んでいる現代文の世界では、時代遅れであるとも言える。

 

現代文の学習参考書-藤田修一・出口汪-

藤田修一は、駿台予備校で「記号でつかむイイタイコト」というタイトルで、一文ごとに対比などを駆使しながらミクロの視点で本文の「イイタイコト」をつかんでいくスタイルであった。それを文章構成ごとに読解する形でマクロの視点で発展させたのが出口汪である。基本的に、藤田修一の現代文を巨視的に行い、段落単位でわかりやすく発展させたのが出口汪であると言えるであろう。

長所としては、普通の高等学校の現代文でオーソドックスな読み方を身に付けるのに最適であり、入試問題に入る前段階としての、現代文の基本を身に付けるのに適している。現代文とは何かをつかむのに適したものであると言える。

短所としては、解答へのアプローチが甘く、感覚で説いている傾向があるため、得点力になると疑問が残る点が指摘できる。現代文が普通に読めている水準であれば、平凡な高等学校の授業とさほど変わらないと言える。現在の予備校の水準からすると、時代遅れの感じである。

 

文学史の整理

文学史の整理)上代から中世

 

上代文学

 

古事記・・稗田阿礼誦習。太安万侶の筆録。

日本書紀・・舎人親王

万葉集・・大伴家持撰。「ますらをぶり」

 

物語文学(平安時代

 

【伝奇物語】

竹取物語・・「物語の出で来はじめの祖」(源氏物語

宇津保物語・・長編。源氏物語に影響。

落窪物語・・継子いじめ話。

 

【歌物語】

伊勢物語・・歌物語。在原業平がモデル。「みやび」

大和物語・・歌物語。前半が歌人の逸話、後半が説話的。

平中物語・・平貞文がモデル。「をこ」

 

源氏物語・・平安時代の物語文学の最高傑作。紫式部。五十四帖。「もののあはれ

 

 

源氏物語の影響】

堤中納言物語・・短編物語集。「このついで」「虫めづる姫君」「はいづみ」などを載録。

夜半の寝覚

浜松中納言物語

狭衣物語・・長編。

とりかへばや物語

 

日記文学

 

(平安)

土佐日記・・紀貫之

蜻蛉日記・・藤原道綱母

和泉式部日記

紫式部日記

更級日記・・菅原孝標女

讃岐典侍日記

(鎌倉)

十六夜日記・・阿仏尼

 

説話文学

 

(平安)

日本霊異記・・景戒。仏教説話。

三宝絵詞・・仏教説話。

今昔物語集

(鎌倉)

宇治拾遺物語・・世俗説話。

発心集・・鴨長明。仏教説話。

十訓抄・・教訓書。

古今著聞集・・橘成季。世俗説話。

沙石集・・無住。仏教説話。

 

歴史物語

 

(平安)

栄花物語・・編年体藤原道長を賛美。

大鏡・・紀伝体。大宅世継と夏山繁樹の語る昔話。藤原道長を批判。

(鎌倉)

今鏡

水鏡

南北朝

増鏡

 

軍記物語

 

(鎌倉)

保元物語

平治物語

平家物語・・仏教的無常観。和漢混交文。琵琶法師の平曲。

異本(源平盛衰記

南北朝

太平記

曽我物語

(室町初期)

義経記

 

三大随筆

 

枕草子・・清少納言。父は清原元輔。「をかし」

方丈記・・鴨長明。和漢混交文。

徒然草・・兼好法師。和漢混交文。擬古文。

 

八代集

 

平安時代

古今和歌集・・九〇五年。紀貫之らの撰。「たをやめぶり」

後撰和歌集・・梨壺五人の撰。

拾遺和歌集・・源氏物語枕草子と同時期

拾遺和歌集

金葉和歌集・・源俊頼

詞花和歌集

千載和歌集・・藤原俊成

鎌倉時代

新古今和歌集・・一二〇五年。後鳥羽院の勅命。藤原定家らの撰。

 

六歌仙

 

大伴黒主 喜撰法師 小野小町 

僧正遍照 文屋康秀 在原業平

 

私家集

 

山家集・・西行

金塊和歌集・・源実朝

建礼門院右京大夫集・・女版平家物語

 

歌謡集

 

和漢朗詠集・・藤原公任

梁塵秘抄・・後白河法皇の撰。「今様」

 

 

 

 

 

 

 

文学史の整理)近世

 

近世前半

 

松尾芭蕉・・元禄時代俳諧師。蕉風といわれ、「さび」「しほり」「ほそみ」を重んじた。

俳諧七部集

紀行文・・野ざらし紀行・鹿島紀行・笈の小文・更科紀行・奥の細道

蕉門十哲・・向井去来去来抄)・服部土芳(三冊子)・森川許六(風俗文選)

 

井原西鶴・・元禄時代浮世草子作家。もとは談林派の俳諧師

好色物・・好色一代男・好色一代女・好色五人女

武家物・・武家義理物語・武道伝来記

町人物・・日本永代蔵・世間胸算用

 

近松門左衛門・・元禄時代浄瑠璃作者。「虚実皮膜論」(難波土産)。

時代物・・出世景清・国姓爺合戦

世話物・・曾根崎心中・心中天の網島・冥途の飛脚

 

近世後半

 

本居宣長・・江戸時代の国学者。伊勢松坂で生まれる。賀茂真淵に師事。号は鈴屋。

古事記伝・・古事記の注釈

源氏物語玉の小櫛・・「もののあはれ

詞の玉緒・・助詞の研究

玉勝間・・随筆

石上私淑語・・歌論

鈴屋集・・歌集

 

上田秋成・・江戸時代の読本作家

胆大小心録・・随筆

雨月物語春雨物語・・前期読本・短編の怪異小説

 

滝沢馬琴・・江戸時代の読本作者

椿説弓春月・南総里見八犬伝・・後期読本

 

 

 

 

 

 

文学史の整理)近代編

 

 

Ⅰ 近代文学史の流れ

 

明治元年~明治十七年

 

啓蒙主義

戯作文学期

啓蒙運動期

翻訳文学期

政治小説

 

明治十八年~明治二十五年

 

写実主義

 

擬古典主義

 

明治二十六年~明治三十八年

 

浪漫主義

 

明治三十九年~大正

 

自然主義

 

反自然主義耽美派白樺派・新思潮派)+夏目漱石森鴎外(余裕派・高踏派)

 

昭和初期

 

後期自然主義(人生派・奇蹟派)

 

プロレタリア文学

 

芸術派(新感覚派・新興芸術派)

 

転向文学

 

戦後

 

戦後派

(第一次)野間宏大岡昇平  (第二次)三島由紀夫安部公房

無頼派(新戯作派)

太宰治坂口安吾織田作之助

大家の復活

川端康成志賀直哉永井荷風

第三の新人

安岡章太郎吉行淳之介遠藤周作

内向の世代

古井由吉・小川国男・黒井千次後藤明生柄谷行人高井有一阿部昭

新世代の作家

大江健三郎開高健石原慎太郎

 

Ⅱ 文芸思潮

 

写実主義・・勧善懲悪の否定

坪内逍遥二葉亭四迷

擬古典主義・・古典回帰・硯友社・「我楽多文庫」

尾崎紅葉幸田露伴

浪漫主義・・自我の確立・「文学界」

北村透谷・与謝野晶子

自然主義・・実証的・科学的・私小説へ・「早稲田文学

島崎藤村田山花袋

余裕派(高踏派)・・超然として独自の作家活動

夏目漱石(エゴイズムの追求から則天去私を目指す)

森鷗外(現実と関係のある倫理問題の追及)

耽美派・・耽美的・「三田文学」・「スバル」・悪魔主義

永井荷風谷崎潤一郎

白樺派・・理想主義・人道主義・「白樺」

有島武郎志賀直哉武者小路実篤

新思潮派(理知主義)・・理知派・「新思潮」

菊池寛芥川龍之介久米正雄

プロレタリア文学・・マルクス主義・「種蒔く人」・「文芸戦線」・「戦旗」

小林多喜二葉山嘉樹・徳永直

新感覚派・・反プロレタリア・「文芸時代

横光利一川端康成

新興芸術派・・反プロレタリア・「新潮」

堀辰雄井伏鱒二梶井基次郎

Ⅲ 外国作家の影響

 

二葉亭四迷・・ツルゲーネフ

徳富蘆花・・トルストイ

永井荷風・・エミール=ゾラ

国木田独歩・・ワーズワースツルゲーネフ

島崎藤村・・ドフトエフスキー

田山花袋・・エミール=ゾラ

谷崎潤一郎・・オスカー・ワイルド

武者小路実篤・・トルストイメーテルリンク

有島武郎・・エマソン

芥川龍之介・・アナトール=フランス

横光利一・・ジョイス

堀辰雄・・ジー

 

Ⅳ 古典と近代作家

 

坪内逍遥←江戸戯作

尾崎紅葉井原西鶴

正岡子規与謝蕪村

永井荷風人情本

芥川龍之介←『今昔物語集

斎藤茂吉←『万葉集

谷崎潤一郎←『源氏物語

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福澤諭吉の学問効用論

 

福澤諭吉の学問効用論

                     

                            

本稿では、『学問のすゝめ』を中心に、学問効用論を扱う。なお、『学問のすゝめ』『文明論之概略』『福翁自伝』などの福沢諭吉の著作のテキストは、岩波文庫版を用いた。

福澤諭吉の活動は多岐にわたるが、丸山真男(1986)は、福澤諭吉の活動を以下のように分けている。

 

第一期 幕臣・翻訳時代

第二期 明治五年以降の著作時代

第三期 明治10年代以降『時事新報』の刊行前後以降の時代

                                 (pp.315-316)

 

福沢諭吉の『学問のすすめ』は第二期にあたり、守銭奴の世界を描いた尾崎紅葉の『金色夜叉』と並んで、明治期のベストセラーとなった。

「人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」(『学問のすゝめ』p.2)と説いているように、努力即幸福に基づいた学問の効用を説いている。福澤諭吉儒学国学を「我邦の古事記は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男というべし。経書史類の奥義には達したれども、商売の法を心得て正しく取引をなすこと能わざる者は、これを帳合の学問に拙き人と言うべし」(『学問のすゝめ』p.23)などの記述に見られるように頻繁に批判をしている。この点、「中津留別の書」でもすでに示されている。『学問のすゝめ』の萌芽は、小泉信三(1942)、山住正己(1991)の指摘にあるようにすでに、「中津留別の書」に見ることができる。緒方洪庵適塾に学び、三回の留学経験を経た福澤諭吉は、西洋の自然科学の視点の重要性を「書を読むとは、ひとり日本の書のみならず、支那の書も読み、天竺(インド)の書も読み、西洋諸国の書も読ざるべからず」(「中津留別の書」p.14)と述べている。小室正紀(2013)の指摘にあるように、福澤諭吉実学は、西洋の自然科学のことであり、真理を見きわめることであろう。「独立自尊」が福澤諭吉のテーマである。そのため、経済的独立が精神的独立につながることを考えると、現在のすぐに実用で役立つという意味とは大きく異なることがわかる。

学問の効用を説いたことは当時、画期的であった。それだけでなく、啓発的な内容にするために、文体にも工夫を凝らしている。特に、『学問のすゝめ』の第1編から3編までは、人口に膾炙したのは、読みやすさも考慮した文体だったからでもあろう。

実際に福沢諭吉は『学問のすゝめ』の中で「学問のすゝめは、もと民間の読本または小学校の教授本に供えたるものなれば、初編より二編三編までも俗語を用い文章を読み易くするを趣意となしたりしが、四編に至り少しく文の体を改めて或いはむつかしき文字を用いたる所もあり」(p.53)と述べている。全体的に見ると、全体的な構成案は特になく、順番にその都度書き継がれていった状態である。丸山真男(1986)も、すでに指摘しているが、夏目漱石の『吾輩は猫である』を想起させるところがある。しかも、言文一致運動の口語体を完成させた夏目漱石の文体への配慮と福澤諭吉とは、通じるものがある。

小泉信三(1942)の指摘によると、第一編の異常成功のために書く気になったのであり、当初、第二編以後の続刊は考えていなかったようである。小泉信三(1942)も、その偶然性についても触れている。

福澤諭吉の「独立自尊」という大きなテーマに向けての氷山の一角ではあるが、その粋の詰まったものが『学問のすゝめ』であり、わかりやすい文体で教育者として伝えることに長けていた福澤諭吉の人物像が垣間見える。

 

 

(参考文献)

小泉信三(1942)「解説」『学問のすゝめ』岩波書店

小室正紀編(2013)『近代日本と福澤諭吉慶應義塾大学出版会

小室正紀(2013)「福澤諭吉の生涯と「独立自尊」」『近代日本と福澤諭吉慶應義塾大学出版会

丸山真男(1986)『文明論の概略を読む 下』岩波書店

山住正己(1991)「解説」『福沢諭吉教育論集』岩波書店

 

ハンス・ケルゼンの民主政治擁護

 

 

ハンス・ケルゼンの民主政治擁護

      

ケルゼンは、「あるかないか(存在・Sein/is)」と「あるべき・なすべき(当為・Sollen/ought)」とを、「分離可能性テーゼ」として、方法的二元論で取り扱っている。また、科学主義との近接性も指摘し、オーゥエン、サン・シモンを空想的社会主義と呼び科学的社会主義と対立させて考えた。その上で、ケルゼンの民主政擁護について見てみる。ゲルゼンは相対主義・法実証主義の立場から以下の記述にみえるように、その「自由の理念」を見ることができる。

 

民主制はその敵よりの攻撃に対し最も脆弱な政体である民主制はその最悪の敵さえもその乳房で養わざるをえないという悲劇的宿命を負っている。民主制が自己に忠実であろうとすれば、民主制絶滅運動をも容認し、それに他の政治的立場と同様の発展可能性を保障せざるをえない。・・〈中略〉・・多数の意思に抗し暴力にさえ訴えて主張される民主主義はもはや民主主義ではない。・・〈中略〉・・民主主義者は身を忌むべき矛盾に委ね、民主制救済のために独裁を求めるべきではない。船が沈没してもなおその旗への忠実を守るべきである。」(『民主制の擁護』)

 

この記述から見えることは、正義と寛容の精神に支えられているのが特徴的である。相対主義については、共同体内の共通性を前提とする文化相対主義が知られているが、「経験的相対主義」「規範的相対主義」の亜種を取り除いたものを「価値相対主義」を述べた。宗教的価値、美的価値など、価値はその正当性を認めるものにのみ妥当(valid)するとし、「妥当」は正しいものとして適用されるとした。

また、ケルゼンは、少数派を前提とし、少数派に不利益が出ないように配慮したうえで、多数決がもっとも害が少ないとした。それは、他律を強制される人数が最小であり、正当性は保証しない暫定的な結論であるからだとしている。その正義について、「自由の正義、平和の正義、民主主義の正義、寛容の正義」をあげ、寛容の正義の立場から、マルクス主義は客観的な真理の実在を設定する点で、ナチズムはカリスマ的指導者への服従を促し、一元化・統一化する点で多様性を否定するため、どちらとも寛容とは相容れない不寛容の思想であるとした(注1)。

このようにケルゼンの民主政の根拠としては、「法実証主義」、「価値相対主義」、「正義」、「寛容さ」をあげることができるであろう(注2)。

 

(注)

1

また、ドイツ連邦共和国基本法18条は「寛容の限界」も指摘している。

2

小貫幸浩(2018)は、「ケルゼンは民主主義にさほど寄与していない」とケルゼン批判している。

 

(参考文献)

小貫幸浩(2018)「法の純粋理論と民主制の擁護の間-補論・その2-」『駿河台法学』31巻2号

瀧川裕英・宇佐美誠・大屋雄裕(2014)『法哲学有斐閣

 

 

 

八正道

「チャクラと仏教」

 

こんにちは。

みなさんは、チャクラに興味はありますか?

チャクラの活性化としては、いろいろな方法がありますが、日常生活の方法で、行う方法があります。それが、釈迦の八正道です。

仏陀の説いた八正道という修行方法があります。これは、体を酷使うるものとは異なり、心を高めることを説いたものです。これら八つのことを日々、チェックして生きていくことを勧めたものです。これらを日常生活のチェック項目として活用すると、人生を改善する方法論を絶えず探り、その状態の持続が、能力開発の最高のテクニックとなります。

肉体の修行ではなく、心の修行が最高のものであることを釈迦はといていますね。以下に示してみますので、参考にしてみてくださいね。

 

 

1正見(しょうけん)

ものの見方。正しい見解。現実の実相を正しく認識すること。

ものの見方は、ものの感じ方と考えてもよいもので、見識ととらえられます。ものの見方が改善して、よい情報を得ることができれば、見る行為が生きるエネルギーを生み出します。見ることを通じて、エネルギーが得られるような新しい工夫をすることが大事でしょう。

2正思(しょうし)

思考の仕方。正しい思惟。正しい思考を働かせること。

思考とは、知識や体験から意味と価値のある情報を探り出す作業です。自分の思考が委縮していないか、固定化していないか、方向性がズレていないかをチェックすることが必要です。思考とは情報に役割を与えることです。思考のない人生は、つまらないと言っても過言ではありません。

3正語(しょうご)

言葉の使い方。正しい表現・ことば。正しいことばを用い、嘘や悪口を言わないこと。

言葉は、心の内部では思考の道具であり、生活の場では人とのコミュニケーションの道具です。適切なニュアンスで、その場で即応した用い方をしているか、じっくり反省してみるとよいでしょう。

明るく、力強く、調和した響きを持ち、肯定的で前向きな暗示を持つ言葉を用いるようにしましょう。

4正業(しょうごう)

行動の仕方。正しい行為。道徳的に望ましい行動をすること。

よい行動とは、その行動によって、次の行動もパワー・アップできるものをいいます。そのためには、世の中の役に立つ仕事をすることが重要です。

5正命(しょうみょう)

生活の仕方。正しい生活。実生活のうえに正見を正しくあらわすこと。

生活の状態、生活のパターンは、人生のもっとも端的な表現です。日々の生活の内容が委縮していないか、不十分なレベルで固定していないか、生活のパターンが理想とする在り方からズレていないかを自問してみましょう。無数の可能性の中から、自分も周囲も、ともにパワー・アップできるような生活様式を選びとっていきましょう。

6正精進(しょうしょうじん)

努力の仕方。正しい努力。現想実現のために勇気をもって正しく努力すること。

努力について反省するには、「そもそも努力をしていないのではないか」「努力の内容が工夫に乏しく固定しているのではないか」「最適な努力の仕方からズレていないか」という三種類の自問自答をしてみましょう。不適切な努力は自分を消耗させます。反対に、適切な努力は自分を向上させ、パワーを増強させるものです。

7正念(しょうねん)

想念の持ち方。正しい想念。正見をつねに心にとどめて自覚を失わないこと。

想念とは、心の中のさまざまな「思い」を総称したものです。想念についての反省としては、「そもそもきちんと願望を抱いていないのではないか」「願望が固定し硬化していないか」「望ましい在り方からズレてはいないか」ととらえることが重要です。適切な目標を設定して、それに到達したいと念じ続けると、無意識の心の領域が始動して、最小の努力で最短コースを選びながら願望を達成できるパワーが生まれるのです。

8正定(しょうじょう)

瞑想の仕方。正しい瞑想。瞑想によって心を正しく集中・統一すること。

思考は心の表層の働きであるのに対して、瞑想は心の深層を操作する技術です。そのため、瞑想では感情や情緒の動きも制御します。瞑想によって生まれる静かで安定した心の状態を禅定といいます。禅定から生まれるパワーを古人は「禅定力」と呼びました。それは心の深層が調和し、安定したところから立ち上がる強大なパワーとなります。