福澤諭吉の学問効用論

 

福澤諭吉の学問効用論

                     

                            

本稿では、『学問のすゝめ』を中心に、学問効用論を扱う。なお、『学問のすゝめ』『文明論之概略』『福翁自伝』などの福沢諭吉の著作のテキストは、岩波文庫版を用いた。

福澤諭吉の活動は多岐にわたるが、丸山真男(1986)は、福澤諭吉の活動を以下のように分けている。

 

第一期 幕臣・翻訳時代

第二期 明治五年以降の著作時代

第三期 明治10年代以降『時事新報』の刊行前後以降の時代

                                 (pp.315-316)

 

福沢諭吉の『学問のすすめ』は第二期にあたり、守銭奴の世界を描いた尾崎紅葉の『金色夜叉』と並んで、明治期のベストセラーとなった。

「人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」(『学問のすゝめ』p.2)と説いているように、努力即幸福に基づいた学問の効用を説いている。福澤諭吉儒学国学を「我邦の古事記は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男というべし。経書史類の奥義には達したれども、商売の法を心得て正しく取引をなすこと能わざる者は、これを帳合の学問に拙き人と言うべし」(『学問のすゝめ』p.23)などの記述に見られるように頻繁に批判をしている。この点、「中津留別の書」でもすでに示されている。『学問のすゝめ』の萌芽は、小泉信三(1942)、山住正己(1991)の指摘にあるようにすでに、「中津留別の書」に見ることができる。緒方洪庵適塾に学び、三回の留学経験を経た福澤諭吉は、西洋の自然科学の視点の重要性を「書を読むとは、ひとり日本の書のみならず、支那の書も読み、天竺(インド)の書も読み、西洋諸国の書も読ざるべからず」(「中津留別の書」p.14)と述べている。小室正紀(2013)の指摘にあるように、福澤諭吉実学は、西洋の自然科学のことであり、真理を見きわめることであろう。「独立自尊」が福澤諭吉のテーマである。そのため、経済的独立が精神的独立につながることを考えると、現在のすぐに実用で役立つという意味とは大きく異なることがわかる。

学問の効用を説いたことは当時、画期的であった。それだけでなく、啓発的な内容にするために、文体にも工夫を凝らしている。特に、『学問のすゝめ』の第1編から3編までは、人口に膾炙したのは、読みやすさも考慮した文体だったからでもあろう。

実際に福沢諭吉は『学問のすゝめ』の中で「学問のすゝめは、もと民間の読本または小学校の教授本に供えたるものなれば、初編より二編三編までも俗語を用い文章を読み易くするを趣意となしたりしが、四編に至り少しく文の体を改めて或いはむつかしき文字を用いたる所もあり」(p.53)と述べている。全体的に見ると、全体的な構成案は特になく、順番にその都度書き継がれていった状態である。丸山真男(1986)も、すでに指摘しているが、夏目漱石の『吾輩は猫である』を想起させるところがある。しかも、言文一致運動の口語体を完成させた夏目漱石の文体への配慮と福澤諭吉とは、通じるものがある。

小泉信三(1942)の指摘によると、第一編の異常成功のために書く気になったのであり、当初、第二編以後の続刊は考えていなかったようである。小泉信三(1942)も、その偶然性についても触れている。

福澤諭吉の「独立自尊」という大きなテーマに向けての氷山の一角ではあるが、その粋の詰まったものが『学問のすゝめ』であり、わかりやすい文体で教育者として伝えることに長けていた福澤諭吉の人物像が垣間見える。

 

 

(参考文献)

小泉信三(1942)「解説」『学問のすゝめ』岩波書店

小室正紀編(2013)『近代日本と福澤諭吉慶應義塾大学出版会

小室正紀(2013)「福澤諭吉の生涯と「独立自尊」」『近代日本と福澤諭吉慶應義塾大学出版会

丸山真男(1986)『文明論の概略を読む 下』岩波書店

山住正己(1991)「解説」『福沢諭吉教育論集』岩波書店