文学と歴史学

 こんばんは。今日は、午前中に論文を仕上げてから仕事にでかけたので、くたびれました。でも、論文を書いたあとの達成感はなんともすがすがしいものですね。今回は、文学と歴史学の違いを考えてみます。
 文学と歴史学との大きな違いは何でしょうか。よく、国語の教員は歴史学に詳しいといわれるものですが、少し違いがあります。どちらかというと、歴史学の方が科学的な面が強く、解釈の揺れはあまり認めない例が多いものです。それに対して文学は、ある程度解釈の自由を認める性質が強いのです。ですから、科学手な面を重視する傾向のある場合は歴史学を、ある程度の揺れや自由さを重視する傾向のある場合には歴史学を選択する傾向があるのです。
 文章に接するときの姿勢としては、あまり細部の読み方にはこだわらずに史料として、内容をどんどん読んでいくのが歴史学で、細部にも目を配りながら読んでいくのが文学であるといえます。また、文学史にしても、微妙に違いが認められます。たとえば、文学では石川啄木といえば『悲しき玩具』ですが、歴史学では石川啄木といえば評論『時代閉塞の現状』です。また松平定信といえば文学では『玉勝間』ですが、歴史学では自叙伝の『宇下人言』です。説話とくれば文学では『今昔物語集』『宇治拾遺物語』ですが、歴史学では中世文化史の史料として橘成季の『古今著聞集』があげられます。しかし、現在のように文学と歴史学との垣根にこだわっていては、研究が行き詰まりを見せることも必至です。  
 その意味で歴史学者でありながら、その科学的な視点で文学の研究に応用しようとした、元法政大学教授の近藤忠義氏、石母田正氏(石母田氏の書いた岩波新書の『平家物語』は、歴史学の視点を入れたもので名著として知られています。とてもよい本ですので、ぜひ一読をお巣薦めいたします)、山田英雄氏、山中裕氏、最近では五味文彦氏の研究はたいへん興味深いものです(余談ですが、不思議なことに歴史学の研究者は火災に遭う人々が多いものです。私の知り合いでも四人、火災にあいました)。文学の研究者は、つい文学という枠内だけで解決しようとするものですが、学問は根底ではつながっているものですから、何でも他のジャンルを吸収して良いものは採用するという柔軟な姿勢が必要なのではないでしょうか。その点、最近盛んに研究されている認知科学という文理の統合、かつ学問の学際化を目指した分野も注目されるところです。医学でも統合医療が注目されてきています。学問の世界も統合が必要なのではないでしょうか。