日本人と桜

 こんばんは。今回は、日本人と桜を扱います。花といえば「桜」を指すなどといわれますが、「花」は、春では「梅」「桜」「橘」、秋では「千草」、冬では「菊」を指したりすることもあります(和歌での花については、名著といわれる、片桐洋一『歌枕歌ことば辞典』を参照するとよいと思います)。
 奈良時代は花といえば「梅」でした。桓武天皇が宮中の紫宸殿に植えた梅が枯れてしまい(八三四−八四八年)、その後、仁明天皇が新しい梅を植えましたが、それも焼けてしまい(九六三年)、村上天皇は桜を植えたところ根付いたことがきっかけだ(左近の桜)、などといわれています。梅は匂いを楽しむもので、桜は花が散るのを惜しむ気持を詠んだ和歌が一般的ですね。しかし、昔の和歌によまれる桜は、現在普通によく見かける「ソメイヨシノ」ではありません。「ソメイヨシノ」は江戸時代の幕末のころの巣鴨染井の植木職人がエドヒガンとオオシマサクラを交配させることでつくったもの(クローン桜)で、たくさん花が咲くようにしたものです(寿命は六十年ぐらい)。しかも、豪華・壮観で成長も早く繁殖も簡単で苗木も安いことから、公園や川岸などに植えられて全国的に広まっていきました。それに対して古典の時代には、桜といえば、「山桜」を指していました。山桜はたくさん花がつくわけではありませんから、桜の花が散るのを惜しむ歌が生まれたのです。ソメイヨシノは花が散ってから葉が出ます。それに対し、山桜は花と葉とを同時につけます(寿命は一二〇年ぐらい)。山桜で花見をしてみてください。きっと古典の時代の人々の気持になると思います。西行本居宣長といった文人・学者たちも、桜には心を寄せ、名歌を次々に生み出しました。味わってみてください。
  願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ(西行
  敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花(本居宣長
また、健康法の観点からも、花の精気を得るだけではなく、「梅の実」を食べたり、「桜湯」を飲んだりすることで、咳止めとしての効能があります。