漢学と国学について思うことども

 おはようございます。今回は、漢学と国学について考えてみたいと思います。これは、私が普段から感じることだからです。漢学と国学とでは、同じ日本語でも立場の違いがあるのをご存知ですか。
 たとえば、漢文訓読を考えてみます。漢文を訓読した文章は、日本語の古文になるようにしてあり、たいへんすぐれたものとなっています。この訓読という方法を発明した人物は、はっきりとはわかりませんが(吉備真備説もある)、訓読はたいへんすぐれていることは認めざるを得ません。しかし、完全に古文に翻訳しているわけではなく、次第に国学の意識と漢学の思想的な意識の差が乖離してくるにしたがって、漢文独特のルールといういわゆる「読み癖」などというものがでてきました。その結果、江戸時代の末頃には現在の漢文訓読に近い形が佐藤一斎などによって完成しました。思想的な違いが古文と漢文の読み方の違いに表れてくるのは、ちょうど「言語と文化」の意識の差と似ています。特に、江戸時代は、漢学(特に朱子学)が全盛であり、それに対抗するように国学が誕生し、互いに反目しあっていることは注目しなければなりません。
 国語教育の場でも、古文専攻の教師は国学的な思想を持っていることが多いために、中国思想を入り込むことを嫌い、漢字の読み方も音訓の両方が可能であるときには、国学・歌学の伝統に従って人名の場合には音読みにし、古文・漢文を読むときには日本のものに受容していることを示すため、漢字の読み方を訓読みにする傾向が強まっています。それに対して、漢文専攻の教師は、中国思想の影響をそのまま反映して、四書五経を東洋のバイブルとして尊重しているため、古文・漢文を読むときに音訓の両方の読み方が可能な場合には、音読みにする傾向が強いものです。漢文専攻の教師は「古文は軟弱で神道的で確固とした思想がない」、それに対して古文専攻の教師は「漢文は考え方が硬くて時代にあわない」などというようなことを口にするのです。
 文法・語法の面でも、「已然形+ば」を古文文法では、
  雨降れば(雨が降るので)
のように「ので・から」「と・ところ」「といつも」などと確定条件で口語訳するとされているため、漢文で「已然形+ば」を確定条件以外に、
  雨降れば(雨が降るなら)
のように、相反する「なら(ば)」「たら」と仮定条件で口語訳することが多いために、「漢学者には古文文法の力がないからだ」とする批判が行われます。それに対して漢学者は、古文文法では「あり」を動詞(ラ行変格活用)とするのに、意味的にその逆である「なし」を形容詞とするのは矛盾していると批判するのです。
 しかし、江戸時代から明治時代にかけての国学者は「あり」「なし」はともに「形状言」「存在詞」として状態を表すものとして考えていることが多いのです。そういった事実を、洋学を学んだ学者が形態的にラ変動詞と形容詞とに分離しただけにすぎず、それを学校文法に取り入れたにすぎないのです。
 国語・国文学(日本語・日本文学)では「国語学(日本語学)」、中国語・中国文学では「中国哲学」が、ある種のエリート意識を持っていた時期がありました。つまり踏み込んでいってしまうと、「国語学(日本語学)」に進学できなかった場合に「国文学(日本文学)」に進学し、「中国哲学」に進学できなかった場合に「中国文学」に進学するという風潮があったのです。現在では、「国語学(日本語学)」「中国哲学」を専攻する者には、エリート意識はあるものの、最初から文学を専攻する者の方が多いので、それほど差別的なものは解消されています。しかし、考え方の違いから、「国語学(日本語学)」と「国文学(日本文学)」との対立、「中国哲学」と「中国文学」との対立には根深いものがある。
 私は主に、漢学精神の大学と国学精神の大学に学籍を置いて学びましたから(それぞれに四年ずつ学生生活を送りました)、それぞれの主張することは理解できます。しかし、どうしても国学は、日本人本来の精神を尊重するということで、神道・和歌・国文学・国語学国史学・国法学などの研究としては発展しているのですが、生き方や政治思想としては、どのようにでも解釈できる面があり、触れていないことが多いために人格陶冶という視点でみると、漢学のほうがまさっているといわざるをえません。漢学と国学には、それぞれに長所があるので、立場を認めあっあって、長所は採用して短所は捨てるのが望ましいのではないでしょうか。漢学と国学の折衷を心がけて、考えるようにしています。