古文の主語のしくみ

「古文の主語のしくみ」
 古典文は現代文と異なり、主語の省略がよく行われます。したがって、基本的に述語を見てからでないと主語を決定できないことが多いのです。そのため、まず、「述語をみる」ということが大前提になります。次に主語を示す「は」「が」などが省略されやすいということがあげられます。ですから、「は・が」を補って口語訳しなくてはいけないのですが、はっきりと書かれずに前後から判断しなければならないときもあります。そういうときに、主語を推定する手がかりとして、接続助詞と呼ばれるグループを利用する方法があります。その中でも、活用語の下につく「を・に・が・ど・ば」と「て・で・つつ」が実は、主語の変化に大きく関わることになるのです。「を・に・が・ど・ば」は、その前後を挟んで主語が変わるのが原則です。それに対して、活用語の下の「て・で・つつ」は、その前後を挟んで主語が同じであるのが原則です。その原則を破る場合は、一つ目は、「ので」という原因・理由の意味で口語訳できる「て」は、その前後で主語が変わるということと、二つ目は、「心情語」の下に接続する「を・に・が・ど・ば」は、その前後で主語は変わらないということがあげられます。あとは、尊敬語の有無でだいたい決まります。接続助詞と尊敬語とで主語は推定できるのです。以下、主語について、まとめてみます。
1 古文では、主語を示す助詞の「は・が」が省略されることが多い。したがって、主語を示す「は・が」を補って口語訳する。また、主語を示す「の」にも注意。
鳥飛ぶ(鳥は飛ぶ)。水清らかなり(水はきれいだ)。
梅の咲く(梅の花が咲く)。
2 前の文での主語が、次の文でも同じ主語として継続されるために、文脈上、省略されることも多い。
人のもとに宮仕へしてある生侍ありけり。(その生侍は)することのなきままに、清水に人真似して、千度詣で二度ぞしたりける。(ある人のもとに宮仕えしていた身分の低い若侍がいた。その若い侍はすることがないので、人の真似をして、千度詣でを二度した)
3 接続助詞の「て」「で」「つつ」の前後は、主語が同じことが多いのだが、主語が変わることもある。「て」の前後で主語が変わるのは、「て」が原因理由の「ので・から」の意味になるときである。
 (私は)住む館より出でて、(私は)船に乗るべきところへ渡る。(住んでいる官舎から出て、船に乗ることになっている場所へ移る)
(私が)よき歌奉りて、|(大納言は)いと感じ給ひぬ。(すばらしい歌を差し上げたので、たいそう感動なさった)
4 接続助詞の「ば」「を」「に」「が」「ど」の前後は、主語が変わることが多いのだが、主語が変わらないこともある。主語が変わらないときの「ば」は、心情語の下に「ば」が付いた場合である。
 (この鳥は)京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。(京では見かけない鳥なので、人々はだれも見知ってない。)
(私は)悩ましく思ひければ、(私は)寝たり。(自分自身の気分がすぐれないから、寝たのである)
5 日記・随筆・評論では、わかりきった主語は省略され、文章中に作者が登場する。主語の書かれていない心情語や謙譲語の主語は、作者であることが多く、会話文での謙譲語と丁寧語の書かれていない主語は一人称の「私」か二人称の「あなた」になることが多い。
「あさましあさまし」と、(私は)思ふほどにぞ、(蜻蛉日記
「それは人にしたがひてこそ」と(私は)申せば、(蜻蛉日記
(私は)わづらはしと思ひて(蜻蛉日記
さうざうしく(私は)見たてまつりしに、(枕草子
6 家来や侍女などの身分の低い人は、主語として提示されないことも多い。
7 尊敬語の有無で主語が判断できることも多い。
  まづ、僧都渡りたまふ。いといたく荒れて、恐ろしげなるところかなと見たまひて、「大徳たち、経よめ」などのたまふ。この初瀬に添ひたりし阿闍梨と、同じやうなる、何ごとのあるにか、つきづきしきほどの法師に、灯点させて、人も寄らぬ背後の方に行きたり。(まず、僧都がお越しになる。実にたいそう荒れて、恐ろしそうなところよと御覧になって、「大徳たちよ、お経をよめ」などとおっしゃる。この初瀬まで付き添っていた阿闍梨と同じような法師が、何事であるのだろうか、似つかわしい程度の法師に、明かりをともさせて、人も寄らない背後のほうに行った)