和歌における係り結びの「なむ」

♢和歌における係助詞の「なむ」

今回も、私の書いた論文の一部を紹介します。

係助詞の「なむ」は会話文に多く、和歌中では用いられないのが原則とされている。しかし、『古今和歌集』では、次の一例だけ、

○袂よりはなれて玉をつつまめやこれなむそれと移せ見むかし(四二五・壬生忠岑

という、係助詞の「なむ」を用いたきわめて稀な例が存在することが報告されている。しかし、きわめてまれな例ではあるが、会話文や心内文・手紙文などを導く、引用の「と」が使われている。つまり、

○袂よりはなれて玉をつつまめや「これなむそれ」と移せ見むかし

と会話文の中に用いられているのであり、これは「なむ」が、会話文に多く見られるという特徴をそのまま和歌でも反映していることになるであろう。したがって、基本的な係助詞「なむ」の性質を保っていると考えられる。
また、「これなむそれ」とある「それ」という語は、この歌を含めて、『古今和歌集』では、

〇月夜には「それ」とも見えず梅の花香をたづねてぞ知るべかりける(四〇)

〇去年の夏鳴きふるしてし時鳥それかあらぬか声の変らぬ(一五九)

梅の花「それ」とも見えず久方の天霧る雪のなべて降れれば(三三四)

〇袂よりはなれて玉をつつまめや「これなむそれ」と移せ見むかし(四二五)

〇陽炎のそれかあらぬか春雨のふる人なれば袖ぞ濡れける(七三一)

〇「それをだに思ふこと」とてわが宿を見きとな言ひそ人の聞かくに(八一一)

と六例ほどあり、引用の「と」で導かれる例が六例中、四例ある。あとの二例は「それかあらぬか」という形で使われている。
 また、「なむ」の古形である「なも」は、『万葉集』において、

〇いつはなも(奈毛)恋ひずありとはあらねどもうたてこのごろ恋ししげしも(巻一二・二八七七)

の一例だけあるとされている。この場合は、接続助詞の「ば」「ど」「ども」「を」「に」などが、下にくるとされている。これについて、今泉忠義(一九四四)は、「なも」の係助詞としての発達が遅かったために、歌語として用いられるまでに至らなかったのではないかとしている。また、「なむ」が衰退していった理由については、此島正年(一九六六)が、「このように『なむ』が衰退したのは、文学的には伝承的に語る性質がしだいに写実的の増加に伴って減少したことや、『なむ』が主観的な用法にはほとんど用いられずぞのような主観客観両方にわたる広さのないこと、さらには、ぞの直接に指示する意義の強さが近代語向きであること等、種々の理由によるものと思われる」と述べている。