体言と用言

「体言と用言」
 「体言」と「用言」という言葉は、よく使われますね。これらは、非常にぼんやりとした言葉ですね。つまり、指し示す範囲が広すぎる曖昧さを感じさせる文法用語ですね。
「用言」は「作用」を示す「言葉」で、「動詞・形容詞・形容動詞」を意味します。それに対して、「体言」は「実体」を示す「言葉」で、「普通名詞・代名詞・固有名詞・数詞・指示詞」を意味します。「体言」という文法用語は、「連体形」と間違うことが多いので、私はできるかぎり使わないようにしています。「体」と書くと「連体形」なのに、「体言」と間違う受験生が多いのです。「体言」などという言葉は「名詞」としておけばよいし、そのようなものは大事ではありません。それをことさらに、大事だと説明する教師は、偽者だといってもよいでしょうね。
 かつて、私が勤務していた塾では、講師の授業を見学するという企画が定期的にありましたが、間違えを教えているケースもあり、指摘したことが多々ありました。そのときの言い訳は「この参考書に書いてあったから」とか「高校のときに、このように教わったから」が多くありました。また、大学院生のときに、教育実習にいき、現場の先生方の講義を見学しましたが、間違いをやっているケースも多くありました。そのときには、「教師は下手に勉強すると、授業で迷いが出るから、勉強はあまりしないほうがいい。わかりやすければそれでいい」などと言っている先生もいました。だいたい、参考書の間違いをそのまま行うのは、確認不足と不勉強、さらには一冊の参考書しかみていないことから起きる誤りですし、高校時代のノートだけを頼りに授業するのは、自分の頭で考えていない証拠ですし、きちんと辞書などで確認することが必要です。どちらにしても、しっかりと考えて確認するようにしてほしいものですね。それが真摯に学問を行うということになります。世の中、このような偽者が横行している現状がありますので、嘆かわしいかぎりです。不勉強な者は、教える資格はないと思うのですが、それは言いすぎでしょうかね。「知」というものに対する畏敬の念を持つことが大切ではないでしょうか。ただし、私の経験やインタビューした感じでは、教師は最初の三年間は、間違いをしばしば行いがちです。しかし、三年過ぎても間違いをやるようでは、よくありませんし、向いていません。もし、教員を目指すのなら、そのように許されるのは三年までだと思って気合を入れて授業をすることをお薦めします。