森鴎外の遺書

森鷗外の遺書」
 森鷗外は、文学者でもあり陸軍の軍医の最高峰まで出世した人物です。その森鷗外の遺書が有名です。世俗のものとは、一切関わらないで「森林太郎」として死にたいことを書いたものです。死後発表された森鷗外の遺書を永井荷風は絶賛し、『断腸亭日乗』という日記に全文を書き写しているほどです。以下、森鷗外の遺書を掲載します。

余は少年の時より老死に至るまで一切の秘密なく交際したる友は賀古鶴所君なり。ここに死に臨んで賀古君の一筆をわずらわす。死は一切を打ち切る重大事件なり。奈何なる官憲威力と雖此に反抗するを得ずと信す。余は石見の人森林太郎として死せんと欲す。宮内省陸軍皆縁故あれども生死分かるるの瞬間にあらゆる外形的取り扱いを辞す。森林太郎として死せんとす。墓は森林太郎の外一字もほる可からず。書は中村不折に委託し宮内省陸軍省の栄典は絶対に取りやめを請う。手続きはそれぞれあるべし。これ唯一の友人に云い残すものにして何人の容喙も許さず。
大正十一年七月六日 森林太郎 言
賀古鶴所 書