万葉集と受身表現

おはようございます。
今日は、『万葉集』と受身表現について書いてみました。


萬葉集』と受身表現

 『万葉集』における受身の意味を表す助動詞の例を次に検討することにする。用例調査にあたっては、岩波日本古典文学大系の訓み下しに従った。用例は以下のとおりである。なお、訓みが割れるものは※の記号を付し(訓みに問題のあるものは、「所」の部分でわかれている。また、3791の「如是所為故為」は、定訓がなく、「らる」でよめば、上代に「らる」の存在を示すこととなる)、訓みに特に問題がないものには、◇を付した。

1◇昔こそ難波田舎と(難波は)言はれけめ今は京引き都びにけり(巻三・312)
2※天雲の向伏す国の武士といはゆる人は皇祖の神の御門に外の重に・・(巻三・443)
3◇山菅の実成らぬことをわれに依せ言はれし君は誰とか宿らむ(巻四・564)
4◇青山を横切る雲の著ろくわれと咲まして(私たちは)人に知らゆな(巻四・688)
5◇わが思ひかくてあらずは玉にもが真も妹が手に(私は)巻かれむを(巻四・734)
6◇言問はぬ木すら紫陽花諸茅等か練の村戸に(私は)あざむかえけり(巻四・773)
7◇・・腰にたがねてか行けば(私は)人に厭はえかく行けば人に憎まえ老男はかくのみなしたまきはる命惜しけどせむ術もなし(巻五・804)
8◇・・腰にたがねてか行けば人に厭はえかく行けば(私は)人に憎まえ老男はかくのみなしたまきはる命惜しけどせむ術もなし(巻五・804)
9◇・・戴き持ちて唐の遠き境に(人々が)遣はされ罷り坐せ海原の辺にも奥にも(巻五・894)
10◇白珠は人に知らえず知らえずともよし知らずともわれし知れらば知らずともよし(巻六・1018)
11◇橋の本に道履む八衢にものをそ(私は)思ふ人に知らえず(巻六・1027)
12◇うべしこそ見る人ごとに語り継ぎ偲ひけらしき百代経て偲はえゆかむ清き白浜(巻六・1065)
13◇あぢ群のとをよる海に船浮けて白玉採ると(あなたは)人に知らゆな(巻七・1299)
14◇遠浅の磯の中なる白玉を(私は)人に知られず見むよしもがも(巻七・1300)
15◇南淵の細川山に立つ檀弓弓束纏くまで(私たちは)人に知らえじ(巻七・1330)
16◇わが屋前に生ふる土針心ゆも(土針は)想はぬ人の衣に摺らゆな(巻七・1338)
17◇伏し超ゆ行かましものを守らひに(私は)打ち濡らさえぬ波数まずして(巻七・1387)
18◇御幣帛取り神の祝が鎮斉く杉原薪伐り殆しくに(私は)手斧取らえぬ(巻七・1403)
19◇この花の一枝のうちは百種の言持ちかねて(花は)折らえけらずや(巻八・1457)
20◇夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ(巻八・1500)
21◇沫雪に降らえて咲ける梅の花君がり遣らばよそえてむかも(巻八・1641)
22◇・・天雲の別れし行けば闇夜なす思ひ迷はひ射ゆ猪鹿の心を痛み葦垣の・・(巻九・1804)
23◇女郎花花咲く野に生ふる白つつじ知らぬこと以ち言はえしわが背(巻十・1905)
24※春山の馬酔木の花の憎からぬ君にはしゑや(私は)寄さゆともよし(巻十・1926)
25◇わが屋外に植ゑ生したる秋萩を誰か標刺すわれに知らえず(巻十・2114)
26◇を男鹿の朝伏す小野の草若み隠ろひかねて(私たちは)人に知らゆな(巻十・2267)
27◇わがゆゑに言はれし妹は高山の峯の朝霧過ぎにけむかも(巻十一・2455)
28◇打つ田には稗は数多にありといへど擇らえしわれそ夜をひとり寝る(巻十一・2476)
29◇誰そこのわが屋戸に来喚ぶたらちねの母に嘖はえ物思ふわれを(巻十一・2527)
30※おぼろかの心は思はじわがゆゑに(あなたは)人に事痛く言はえしものを(巻十一・2535)
31◇たらちねの母に知らえずわが持てる心はよしゑ君がまにまに(巻十一・2537)
32◇夕凝りの霜置きにけり朝戸出にはなはだ踏みて(あなたは)人に知らゆな(巻十一・2692)
33※しなが鳥猪名山響に行く水の名のみ縁さえし隠妻はも(巻十一・2708)
34※一に云はく、(私は)名のみよさえて恋ひつつやあらむ(巻十一・2708)
35※牛窓の波の潮騒島響み寄さえし君は逢はずかもあらむ(巻十一・2731)
36※浅茅原刈り標さして空言も寄さえし君が言をし待たむ(巻十一・2755)
37◇蘆垣の中の似兒草にこよかにわれと笑まして(あなたは)人に知らゆな(巻十一・2762)
38◇磯の上に生ふる小松の名を惜しみ(私は)人に知らえず恋ひ渡るかも(巻十二・2861)
39◇いくばくも生けらじ命を恋ひつつそわれは息づく人に知らえず(巻十二・2905)
40◇おのがしし人死すらし妹に恋ひ日にけに(私は)痩せぬ人に知らえず(巻十二・2928)
41◇水を多み高田に種蒔き稗を多み(穂は)えらゆる業そわが独り寝る(巻十二・2999)
42◇馬柵越しに麦はむ駒ののらゆれどなほし恋しく思ひかねつも(巻十二・3096)
43◇(私が)おのれゆゑのらえて居ればあを馬の面高夫駄に乗りて来べしや(巻十二・3098)
44※おし照る難波の崎に引き上る赤のそほ舟に綱取り繋けひこづらひありなみすれど言ひづらひありなみすれどありなみ得ずぞ言はえにしわが背(巻十三・3300)
45◇・・天雲の行きのまにまに射ゆ猪鹿の行きも死なむもと思へども・・(巻十三・3344)
46◇汝が母に嘖られ吾は行く青雲のいで来吾妹子逢ひ見て行かむ(巻十四・3519)
47◇等夜の野に兎狙はりをさをさも寝なへ兒ゆゑに(私は)母に嘖はえ(巻十四・3529)
48◇緑子の若子が身にはたちし母に懐かえひむつきの・・(巻十六・3791)
49◇今日やも子等に不知にとや(私は)思はえてある・・(巻十六・3791)
50◇忍ぶらひかへらひ見つつ誰が子そとや(私は)思はえてある・・(巻十六・3791)
51※・・今日やも子等に不知にとや思はえてある(私は)かくの如せられし故に古の・・(巻十六・3791)
52※・・誰が子そとや思はえてある(私は)かくの如せられし故に古の・・(巻十六・3791)
53◇白髪し子らも生ひなばかく如若けむ子らに(私は)罵らえかねめや(巻十六・3793)
54◇わが門に千鳥数鳴く起きよ起きよわが一夜夫人に知らゆな(巻十六・3873)
55◇所射ゆ猪鹿をつなぐ川辺の和草の身の若かへにさ寝し兒らはも(巻十六・3874)
56◇梯立の熊来酒屋に真罵らる奴わし誘ひ立て率て来なましを真罵らる奴わし(巻十六・3879)
57◇梯立の熊来酒屋に真罵らる奴わし誘ひ立て率て来なましを真罵らる奴わし(巻十六・3879)
58◇住吉の御津に船乗り直渡り日の入る国に遣はさるわが背の君と・・(巻十九・4245)

訓みが割れるものも含めて合計58例ある(訓みに問題のあるものは10例)。岩波古典文学大系の訓みに従うと受身で使われているものは、
「ゆ」46例
「る」10例
「らる」2例
となる。
なお、訓みがわかれる箇所の特賞としては、次のように「所」の文字の訓みで意見が分かれている。

所云人(巻三・443)いはゆるひと・いはれしひと・いはるるひと・いはえしひと
所因友(巻十・1926)よさゆども・よそるとも
所云物乎(巻十一・2535)いはれしものを
所縁之(巻十一・2708)よさえし・よそりし
所縁之(巻十一・2708)よさえし・よそりし
所依之(巻十一・2731)よさえし・よそりし
所縁之(巻十一・2755)よさえし・よそりし
所言西(巻十三・3300)いはえにし・いはれにし
如是所為故為(巻十六・3791)かくのごとせらえしゆゑに・かくのごとせられしゆゑに
如是所為故為(巻十六・3791)かくのごとせらえしゆゑに・かくのごとせられしゆゑに

( )でそのうち訓みがわかれるものを示し、巻ごとの用例数をまとめてみると次のようになる。

巻一   0
巻二   0
巻三   2(1)
巻四   4
巻五   3
巻六   3
巻七   6
巻八   3
巻九   1
巻十   4(1)
巻十一  11(4)
巻十二  6
巻十三  2(1)
巻十四  2
巻十五  0
巻十六  10(2)
巻十七  0
巻十八  0
巻十九  1
巻二十  0

このようにみてみると、巻七・巻十一・巻十二・巻十六に多く偏っていることがわかる。部立でみると、
雑歌20例
相聞25例
挽歌4例
その他9例
となり、相聞が一番多い。その他の箇所を細かくみると、
比喩歌6例
東歌2例
遣唐使に贈る歌1例
 また、慣用句的なものとして、「―に知らえず」「人に知らゆな」が目立つ。「―に知らえず」は8例あり、そのうち、6例が「人に知らえず」となっていて、類似的なものとして「人に知られず」が1例ある。「人に知らゆな」は6例ある。これらは、「動作主」が「に」で表されているのだが、この動作主が「に」で明示されているのは、58例中、28例あり、比較的明示されていることがわかる。
 次に、主語が連体修飾で表れている例が目に付くが、そういった例は20例ある。また、主語が表出されていない例も31例と、主語が表出されていない例の方が多いが、和歌という韻文では主語の省略は起こるのが普通である。また、非情の受身になっている例は14例と、受身全体的に占める非情の受身の割合は、『古今和歌集』(受身11例中7例が非情の受身)の場合よりも少ない。このことは、『万葉集』は素朴で「ますらをぶり」とされ、『古今和歌集』の場合は技巧的で「たをやめぶり」とされたことと関連して、受身の特質の違いからも、時代的な差や万葉から古今へという違いや、和歌集の特性というものが感じ取れる。