万葉集の秀歌

万葉集』の秀歌を詠む

あかねさす紫野行き標野行き野守りは見ずや君が袖振る(巻一・二〇・額田王
(紫草を植えた御料地をあちこちとお歩きになって、まあ野の番人が見るではありませんか、あなたが袖を振ってわたしに合図しておいでなのを。)

秋山の黄葉を茂み迷ひぬる妹を求めむ山路知らずも(巻二・二〇八・柿本人麻呂
(秋山のもみじが茂っているために山中に迷って帰れなくなってしまった、わがいとしい妻を探し求めようにもその山道がわからないことであるよ。)

あしひきの山川の瀬に鳴るなべに弓月が嶽に雲立ち渡る(巻七・一〇八八・柿本人麻呂
(山あいのを流れる川の瀬音が高く響くとともに、弓月が嶽に雲が一面に立ちのぼることだ。)

葦辺行く鴨の羽交に霜降りて寒き夕べは大和し思ほゆ(巻一・六四・志貴皇子
(葦の生えている海辺を泳ぐ鴨の羽の合わせ目に霜が降って寒い夕べには、いま旅中にある自分としては、大和の暖かいわが家のことが思い出されてならない。)

近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ(巻三・二六六・柿本人麻呂
(近江の琵琶湖、その夕波に鳴き飛ぶ千鳥よ、おまえがそんなふうに鳴くと、わたしは心もしっとりとひきつけられるように、ここに天智天皇の大津の宮が栄えた昔のことが思い出されてならない。)

天ざかるひなの長路ゆ恋来れば明石の門より大和島見ゆ(巻三・二五五・柿本人麻呂
(都を遠く離れたいなかの長い旅路をずっと通って、故郷の大和を早くみたいと恋いつつ来ると、明石海峡から大和の山々が見える、ああなつかしいことだ。)

あわ雪のほどろほどろに降りしけば平城の京し思ほゆるかも(巻八・一六三九・大伴旅人
(あわのように解けやすい雪がはらはらと降りしきるのを見ると、こうして大宰府にいるわたしには、奈良の都のようすがしきりと思い出されてならないことであるよ。)

いづくにか船泊てすらむ安礼の崎漕ぎたみ行きし棚無し小舟(巻一・五八・高市黒人
(もう日暮れとなってしまった今時分、どこに船泊まりしているだろうか。さきほどは安礼の崎を漕ぎ回って行ったあの棚無し小舟は。)

稲つけばかかる吾が手を今宵もか殿の若子が取りて嘆かむ(巻一四・三四五九・東歌)
(いつも稲をついているのでこんなにあかぎれのできているわたしの手を、今夜もまた御殿の若君がお取りになって、かわいそうだとお嘆きくださることだろうなあ。)

磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた帰り見む(巻二・一四一・有間皇子
(わたしは今この磐代の浜を通るにあたって、世人がするように、わが命と旅の無事を祈って松の枝を結び合わせて行くが、もし無事であったならばまた帰って来てこの結んだ枝を見よう。)
石走る垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも(巻八・一四一八・志貴皇子
(寒さ厳しい冬が過ぎて、石の上を激しく流れる滝のほとりのわらびが芽を出す、楽しい春になったことであるよ。)

石見のや高角山の木の間よりわが振る袖を妹見つらむか(巻二・一三二・柿本人麻呂
(石見の高角山の木の間から私が振る袖を、いとしい妻は見たことであろうか。)

家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る(巻二・一四二・有間皇子
(家にいるときにはいつも食器に盛る飯を、旅の途中であるから椎の葉に盛ることである。)

妹が見しあふちの花は散りぬべしわが泣く涙いまだ干なくに(巻五・七九八・山上憶良
(いとしい妻がかつて病中に見たせんだんの花は今年も咲いたが、すぐまた散ってしまうだろう。妻を失った悲しみに泣く私の涙がまだかわきもしないのに。)

妹として二人造りしわが山斎は木高く繁くなりにけるかも(巻三・四五二・大伴旅人
(今は死んでしまった妻とかつていっしょに造ったわが家の庭の植え込みは、木立も高く伸び枝も茂ってしまったことであるよ。)

うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山をいろせとわが見む(巻二・一六五・大伯皇女)
(一人この世に生き残った人である私は、弟を葬った所だから、明日からはこの二上山をいとしい弟と思って眺めよう。)

うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも一人し思へば(巻一九・四二九二・大伴家持
(うららかに照っている春の日に、ひばりが空高く上がってさえずり、その声を聞いている私は心が傷むことであるよ、一人物思いにふけっているので。)

憶良らは今は罷らむ子泣くらむそを負ふ母もわを待つらむそ(巻三・三三七・山上憶良
(わたくし憶良などは今はもうこの宴席からおいとまして引き下がりましょう。なぜって、家ではわが子が泣いておるでしょうし、その子を背負っている母、つまり愚妻もまたわたくしの帰りを待っておるころでしょうから。)

勝鹿の真間の井を見れば立ちならし水汲ましけむ手児奈し思ほゆ(巻九・一八〇八・高橋虫麻呂
葛飾の真間の井を見るにつけも、昔朝夕ここの地面を平らにするほどにやってきて水を汲まれたという、あの手児奈のことがしきりと思い出されてならない。)

韓衣裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや母なしにして(巻二〇・四四〇一・他田舎人大島)
(わたしの着物の裾にすがりついて泣く子どもたちを置いて、わたしは防人として出てきてしまったことだよ、あの子どもたちは世話する母親もいないけれども、どうしているだろうか。)


君が行く道のながてを繰りたたね焼きほろぼさむ天の火もがも(巻一五・三七二四・狭野茅上娘子)
(いとしいあなたが流されていらっしゃる越前までの長い道を、たぐりよせたたみ重ねて焼いてなくせるような天の火がほしいものですよ。道がなくなればあなたは流されて行くことがないでしょうし、たとえ流されて行っても都との距離の遠さがなくなるでしょうから)

君待つとわが恋ひをればわが宿のすだれ動かし秋の風吹く(巻四・四四八・額田王
(あなたのおいでを待ってわたしが恋しく思っておりますと、わたしの家の戸口のすだれを動かして秋風が吹くことでございます。あなたのおいでになる前知らせでしょうか)

防人に行くはたが背と問ふ人を見るがともしさもの思ひもせず(巻二〇・四四二五・防人歌)
(防人として行くあの人はだれの夫ですかと尋ねる人を見ることのうらやましさよ。その人はなんの心配もしないでおいでになる。わが夫が防人に行くので悲しんでいるわたしの気持ちも知らないで)

桜田へ鶴鳴きわたる年魚市潟潮干にけらし鶴鳴きわたる(巻三・二七一・高市黒人
(桜の田の方へ鶴が鳴きながら飛んでいく。きっと年魚市潟は潮が引いて干潟となったに違いない。それで水辺を求めて鶴があんなに鳴きながら群れ飛んで行くことだ)

ささなみの志賀の大わだ淀むとも昔の人にまたも会はめやも(巻一・三一・柿本人麻呂
(志賀の大きな入り江は昔ながらに今も水が淀んでいるが、たとえいつまでも水が淀んでいようとも、天智天皇の都を置かれた時の人にふたたび会うことができようか。いやもう会うことができないことであるよ)

ささなみの志賀の辛崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ(巻一・三〇・柿本人麻呂
(この志賀の辛崎は昔と変わらず無事になるけれども、天智天皇が置かれた都はもう荒れ果ててしまったから、あの宮仕えの人たちがここで遊び興じたあの船の姿はもう待っていても見ることができなくなってしまったのだ)

笹の葉はみ山もさやにさやげどもわれは妹思ふ別れ来ぬれば(巻二・一三三・柿本人麻呂
(笹の葉は山全体が鳴るごとく風にさやさやと鳴り騒いでいるけれども、わたしはそんな山中の道を歩きながらなにか不安な思いにかきたてられる心を抑えて、ひたすら妻のことを思っている。別れて来たので)

信濃路は今の墾道刈株に足踏ましなむ履はけ吾が背(巻一四・三三九九・東歌)
信濃路は新しく切り開いたばかりの道です。だから草木の切り株があってきっとそれをお踏みになるでしょう。そうなったらたいへんですら、どうぞくつをはいていらっしゃい、わがいとしいあなたよ)

白珠は人に知らえず知らずともよし知らずともわれし知れらば知らずともよし(巻六・一〇一八・元興寺の僧侶)
(真珠はその真価をなかなか人に知られないでいる。しかし、知らなくともよい。他人が知らなくともせめて自分が自分の優れた才能を知っていれば、他人などが知らなくともよい)