国学の思想

国学

国学の起こり
国学の先駆者は、真言宗の僧侶であった契沖である。契沖は、徳川光圀の依頼で下河辺長流の代わりに『萬葉代匠記』を書いた。契沖は、古典解釈の心構えとして、「今の心」(さまざまな先入観にとらわれた心)を取り去ることを強調した。これは、様々な先入観を排除して、古代人の生の感動を解そうとした国学の基本的な姿勢を提示したとされる。国学者は、中国文化の影響を取り除いた日本の心を取り戻そうとした。

1賀茂真淵
国学は、日本本来の精神を学ぶための古典の研究である。朱子学にあきたりず、陽明学や古学に転校した学者も、中国崇拝の態度は朱子学者と同じであった。賀茂真淵などの国学者は、日本を見直し、日本人の民族精神を再発見しようとした。賀茂真淵は、荷田春満に古典研究の方法を学び、『萬葉集』の中に、古代人の心を読み解こうとした。賀茂真淵が古語に精通し、自ら古語で歌を詠んだ。
『萬葉考』
古歌に日本人の心があらわれているとして、『萬葉集』を研究した。『萬葉集』から、「高く直き心」と「ますらおぶり」があるとした。
「高く直き心」
→古歌の率直な表現の中に高雅さ、生命力の輝きがあるとした。
「ますらをぶり」
→男性的な、素直でおおらかな古歌の歌風を表す。
2本居宣長
最大の国学者と称される本居宣長は、一度だけ賀茂真淵に面会することができた(松坂の一夜)。高齢であった賀茂真淵は、自ら成しえなかった『古事記』の研究を託した。人間は、身の回りに起こるさまざまな感情を持つ「もののあはれ」は、人間の性質が物事に直面して起こす純粋な感動で、人間の姿であるとした。本居宣長は、朱子学が情を悪と唱えたことを批判し、感情は、道徳的判断以前の人間の能力であり、人間本来の情感に逆らわない素直な心があって、初めて文芸が理解できるのだと考えた。
もののあはれ
源氏物語』や『古今集』にみられる、美しさや悲しさなどを感受する能力。女性的な「たをやめぶり」を重視した。
○真心
古事記』にみられる素直でおおらかな心で、清明心につながる心。「善くも悪しくも生まれつきたるままの心」とした。おいしいものを食べたく、きれいなものをきたく、人から尊敬されたいなどの真心に従うのが人間らしく生きる道である(『玉勝間』)。
○漢意の排除
真心に立ち返るためには、中国文化に影響された何事においても教説的にとらえようとする漢意の排除が必要。本居宣長がすなおで柔らかな心としたものを、朱子学は情とし「情は悪だ」とし、仏教は煩悩だと考えて「それは滅客すべきものだ」とした。
○惟神の道
国学の理想。本居宣長によれば、真心のまま、清明心のままの心。日本の神々、天皇を敬い、明るくおおらかに生きる道。
3平田篤胤
平田篤胤は、本居宣長の没後、本居宣長の門に入った。平田篤胤国学は、ナショナリズムの色彩が強まり、国学が宗教的になっていった。天照大神の子孫である天皇は、もっとも尊い存在であり、この天皇のおられる日本は、世界の中心であると唱えた。この思想は、幕末の尊王攘夷に大きな影響を与えた。
復古神道
神仏習合儒家神道の運動が続いた日本の神道を、仏教や儒学から再び独立させる。日本古代の神道の復活。
4神道の動き
伊勢神道
本地垂迹説を採用。神道の優位を主張。
教派神道
江戸末期に登場し、明治政府が公認した。開祖の宗教的体験をもとに、民衆救済を唱えた13派。
国家神道
明治政府が採用した国家権力と結びついた神道