契沖と日本語学

 

 

契沖

1.契沖(1640-1701)

契沖(けいちゅう)(1640-1701)は、江戸時代前期の国学者ですが、本業は真言宗の僧侶でした。11歳で出家し高野山にのぼりました。23歳で下山して寺の住職を務め、40歳で大阪の妙法寺の住職に就任するまで、漢籍や仏典の研究に没頭し、下河辺長流と交流し、影響を受けました。晩年は水戸光圀の依頼を受けて、著述に専念していたようです。国学に根拠を求める実証的な研究方法を推進したことで、国学の先駆的存在として知られ、国学の四大人に数えられています。

契沖の業績としては、古典に注釈の研究と、それに伴う仮名遣いの研究が知られています。古典注釈研究としては、師である下河辺(しもこうべ)長流(ちょうりゅう)の代理で書いた『万葉代(まんようだい)匠記(しょうき)』、『古今余材抄(こきんよざいしょう)』、『勢語(ぜいご)臆断(おくだん)』、『百人一首改観抄(かいかんしょう)』、『源註(げんちゅう)拾遺(しゅうい)』などがあります。必ず、根拠を見つけての記述に大きな特徴があります。

 日本語学の研究としては、藤原定家の示した「定家仮名遣い」を、さらに徹底して細かくした点にあります。これは古典の注釈を施すときに、それまで使用されていた定家仮名遣いで見落とされていたことに気づいたからでした。契沖は、上代から平安初期までの古典の文献を調査し、藤原定家の見逃していた上代の仮名を加味して、語中の位置に配慮して「い・ゐ・ひ」「お・を・ほ」「え・ゑ・へ」「わ・は」「う・ふ」「ぢ・じ」「づ・ず」「らふ・ろふ」の使い分けを示しました。この著作が、『和字正濫鈔(わじしょうらんしょう)』です。この「契沖仮名遣い」が「歴史的仮名遣い」とされ、多少の修正を経て、明治時代以降の教科書では採用され、古語辞典でも採用されて教材は作成されています。そのため、古語辞典を引くときには、契沖の仮名遣い(歴史的仮名遣い)で引くことになります。