モダリティ論争について

[付記]
モダリティについては、諸説ある。英語の場合には、must・may・canなどの法助動詞の表す意味をモダリティとするが、日本語の場合には規定が定まっていない。一般的には、ムードやモダリティ論争は、陳述論争(山田孝雄時枝誠記金田一春彦芳賀綏・森重敏・渡辺実北原保雄・三上章・寺村秀夫など)が再び形を変えたポスト陳述論争であるとされている。
宮崎和人(二〇〇二)では、モダリティに関する代表的な立場を以下の三つに分類し、今日もっとも支持されているものを二とし、モダリティを「モダリティとは、言語活動の基本単位としての文の述べ方についての話し手の態度を表し分ける、文レベルの機能・意味的カテゴリーである」としている。近藤泰弘(二〇〇〇)や益岡隆志(二〇〇七)も、この規定で論を述べていると考えられる。

一、叙法論としてのモダリティ論・・尾上圭介・野村剛史・大鹿薫久
日本語の述定形式は、その事態の成立、存在を積極的に承認するか、ただ単に事態表象を言語的に組み立てるだけ(事態構成)であるかという第一の観点と、それが話し手にとっての現実世界(過去のことで今はそこにないという場合も含めて)に属する事態を語るか、非現実界の事態を語るかという第二の観点と、この二つによって四つの象限に区分される。言語学上の本来の「モダリティ」という概念は言表事態や「主観性」一般のことではなく、専用の述定形式をもって非現実の事態を語るときに生ずる意味ということである。
二、命題の対立概念としてのモダリティ・・中右実・仁田義雄・益岡隆志
文は、客観的な事柄内容である「命題」と話し手の発話時現在の心的態度(命題に対する捉え方や伝達態度)である「モダリティ」からなり、モダリティが命題を包み込むような形で階層構造化されている。
三、文の対象的な内容と現実とのかかわり方・・奥田靖雄
《モダリティ》とは、はなし手の立場からとりむすばれる、文の対照的な内容と現実とのかかわり方であって、はなし手の現実にたいする関係のし方がそこに表現されている。