西鶴の曲流文

森修(1955・1958)は、近世の井原西鶴松尾芭蕉の文体について、接続助詞と主語についての論を展開している。森修(1955)では、井原西鶴は「て」を並列に用いて、他の接続助詞を用いないことが多く、その結果、井原西鶴の文体の大きな特徴の一つである曲流文につながる点を指摘している。
曲流文は、一文が完成していないにも関わらず、それが次の文の構成要素となっている形式のことであり、「捩れ文」(同一文脈内に主語の転換が見られるもの)と「尻取り文」(前句の終わりを取って次句に続けるもの)とに分けられるが、本稿と関わりをもつのは、主語転換が同一文脈内で起きる「捩れ文」である。以下に、森修(1955)の示した、接続関係の弱まった「て」の休止機能による、井原西鶴の捩れ文の用例を示してみる。

1又の日は、兵庫まで来て、遊女の有様(ヲミレバ)、昼夜の分ちありて、半と、せはしく限り定める(ソノ様)は、今にも此津(ニ)は、風にまかする身とて、舟子のよびたつる声に、小歌を聞きさし、或は戴いて、差捨にして行く(ノ)は、心のこす人(モアラン、ソノ人)はのこるべし。(『一代男』一ノ六)
2御ゑんがあらばと、歩みの、板を上げて、(岸ヲ離レ)取かぢになをして、早や二三里も出て、(アルニ)世之介鼻紙入、取りのこして、(来タト)深く惜む(ソノ理由)を聞けば、花川といへる女に、起請を書かせ、指しぼらせて、名書の下を染めさせけるに、と(カク)申せば、油断もなき所に、めいよの、女郎たらしと、舟はりたたきて、大笑ひ、・・(『一代男』三ノ二)
3我、よからぬ事ども、身にこたえて、覚侍る、いかなる山にも、引き籠り、魚くはぬ、世を送りて(アラン、ト見レバ)、やかましき、真如の浪も、音なし川の、谷陰に、ありがたき、御僧あり。(『一代男』四ノ七)
4いかなる上臈か世をはようなり給ひ(ケン、ソノ)形見もつらしと此等にあがり物かと我年の此思ひ出して・・(『五人女』四ノ一)
5宵ににし枕の久七は、南かしらにふんどしときてゐる(ソレ)は、物参りの旅ながら不用心なり。(『五人女』二ノ三)

また、森修(1958)は、松尾芭蕉井原西鶴に共通のものの一つとして、「て」の使い方が曖昧であることを指摘し、以下のように述べている。

「て」は接続助詞として、順接・逆接・並列の意味に古来用いられてきているが、『奥の細道』にも同じような用法が見出される。・・〈中略〉・・「て」の接続があいまいであるのは、芭蕉よりも西鶴などに多くみられる現象である。西鶴は『・・て・・て』と『て』を重ねて用いたり、省いたりして、文章にねじれた感じを与えている。

以下に森修(1958)の示した、松尾芭蕉の『奥の細道』における、接続助詞「て」「ば」の前後で主語転換が起きる、「捩れ文」を示してみる。

1日影ももらぬ松の林に入りて、爰を木の下と云ふとぞ
2卯の花山・くりからが谷をこえて、金沢は七月中の五日也
3あさむつの橋をわたりて、玉江の蘆は穂に出でにけり
4僕あまた舟にとりのせて、追風時のまに吹き着きぬ
5後の山によぢのぼれば、石上の小庵岩窟にむすびかけたり
6寺に入りて茶を乞へば、爰に義経の太刀弁慶が笈をとどめて什物とす
7先づ高館にのぼれば、北上川南部より流るる大河也
8むかふの岸に舟をあがれば、花の上こぐとよまれし桜の老木、西行法師の記念をのこす

これらの用例も捩れ文であるが、大きく把握すれば、先行事態が契機になって後行事態を引き起こして主語が転換していると考えられる。やはり、事態把握を第一に考えたほうがよいであろう。
このように森修(1955・1958)の示した近世の用例をみても、「て」「ば」に依拠した主語転換の法則化は難しいといわざるを得ないと感じられる。ただし、以下の用例(大学入試センター試験で使用された文章)のように動詞の性質と格成分及び順接の接続助詞「ば」との関係で考えると、「AガBニ―伝達系の動詞+ば(を・に)、Bガ―」という法則化は言えそうである。

1尼どもの(きこり人どもニ)いはく、「・・」といふに、きこり人ども、これを聞きて、あさましく思ふことかぎりなし。『今昔物語集
2(宮内卿ガ成道ニ)「この科はいかにあがひ侍るべき」と申されければ、(成道ハ)「別のあがひ侍るまじ。・・」とありければ、・・。『今鏡』
3(毘沙門天ガ貧乏神ニ)「さらば、何とてかう入り来たれる」と問ひたまへば、(貧乏神ハ)「・・・」。『しみのすみか物語』