語彙的なヴォイスと文法的なヴォイス
「語彙的なヴォイスと文法的なヴォイス」
野田尚史(1991)は、「せる」「させる」を用いた使役を「生産使役」、使役の意味の他動詞を用いた使役を「語彙的使役」とした。それに従うと、「れる・られる」を用いた受身は「生産受身」、受身の意味の自動詞を用いた使役は「語彙的受身」となる。さらに野田尚史(1991)は語形の点から、受身の意味の自動詞を用いた受身と使役の意味の他動詞を用いた使役を「語彙的なヴォイス」、「れる・られる」を用いた受身と「せる・させる」を用いた使役を「文法的なヴォイス」とし、さらに、それらの中間を「中間的なヴォイス」として、ヴォイスを三分類にしている。そして、「語彙的ヴォイス優先の原則」として、
文法的なヴォイスの語形、中間的なヴォイスの語形の間では、原則として、語彙的な語形が優先され、それがなければ中間的な語形、それもなければ文法的な語形が使われる。
述べ、具体例として「する」(語彙的なヴォイス)と「ならせる」(文法的なヴォイス)、「なる」(語彙的なヴォイス)と「される」(文法的なヴォイス)を示し、
○会社がこのあたりをゴルフ場にする。(語彙的なヴォイス)
○会社がこのあたりをゴルフ場にならせる。(文法的なヴォイス)
○このあたりがゴルフ場になる。(語彙的なヴォイス)
○このあたりがゴルフ場にされる。(文法的なヴォイス)
の例で、語彙的なヴォイスが優先されることを示している。
奥津敬一郎(1987・1989)では、自動詞と他動詞の対応を考え、自動詞に対する他動詞がない場合に、「せる・させる」を用いた使役文が使用されるとしており、具体例として対応する他動詞のない「行く」「来る」に対しては、
○太郎が学校へ行く。(自動詞文)
○お母さんが太郎を学校へ行かせる。(使役文)
○雨が降る。(自動詞文)
○祈禱師が雨を降らせる。(使役文)
の例をあげ、また、対応する他動詞のある「降りる」は、
○子供がバスから降りる。(自動詞文)
○先生が子供をバスから降ろす。(他動詞文)
○先生が子供をバスから降りさせる。(使役文)
となり、他動詞と使役文とが相補的関係にあることを述べている(注)。
この論では、使役文よりも他動詞が優先して使われるという記述となっており、野田尚史(1991)の述べた「語彙的なヴォイス優先の原則」とほぼ一致すると考えられる。