負け惜しみの用法

軍記物語において、意味的には受身であり、「る」「らる」を使うべき箇所に、「す」「さす」が使われている箇所が目につく。例えば、以下のような例である。
○太田太郎我身手おひ、家子郎等おほく討たせ、馬の腹射させて引き退く。『平家物語
このような場合、一般には、受身の言い方を嫌う武士特有のもので、負け惜しみと考え、「討たせ」ではなく「討たれ」とし、「射させ」ではなく「射られ」と受身に解釈するのであるが、このような例は頻繁に目につく(注6)。
○桑原・安藤二駆け出でて、悪七別当に、屈継射させて落ちにけり。『保元物語』中
○四郎左衛門も内甲を射させて引き退く。『保元物語』二
○重盛は、頼み切ったる景安討たせて何かせんとて・・『平治物語』二
○浪に足うち洗はせて、露に萎れて、その夜は其処にぞ明かされける。『平家物語』三
○木曽殿は内冑射させて痛手なれば冑の真中を馬の頭に押しあててうつぶし給ふ。『平家物語』九
○兄を討たせて弟が一人残りとどまったらば、・・『平家物語』九
 このように受身に解釈する見解が一般的であるが、他の解釈法を説いている諸家もいる。まとめてみると、次のようになる。
金田一春彦(1957)
「不注意にも−させてしまった」と使役に解釈する。
長谷川清喜(1969)
「−するままになって」と随順に解釈する。
○小林賢次(1987)
「心ならずも−の結果を生じさせてしまう」「−するままにしてしまう」と許容・放任に解釈する。
小松英雄(2001)
「−するままにしてしまう」と放任に解釈する
山口尭二(1983)は武者詞について、「武者詞は、使役の語法を用いてその事態に対する何らかの主体性を強く打ち出そうとするものであり、主述関係の設定が通常の表現に比べてより主観的・情意的であるという点に、狭義の使役の表現との相違がある。」と述べている。また、柳田征司(1994)では、「意志動詞の無意志的用法」と述べている。