江戸の印象
(他国からやってきた人の江戸語の印象)
聞しは今、杉本宗順と云京の人、江戸へ下り云ける様は、関東は聞きしよりも見ていよいよ下国にて、万いやしかりき、人形かたくなに言葉なまりて、なでうことなき、よろこぼひてなどと、かたこと計をいへるにより、理きこえがたし。(『慶長見聞集』江戸初期)
大阪にては、その比江戸ものを関東べい、関東ざアといひて笑ひたると也。今、大都会と成て、物言も華に変じぬ。(『異説区々』一七四八年)
一 人気の荒々しきニ似ず、道を問へば下賤の者たり共、己が業をやめ、教ること町噂にして、言葉のやさしく恭敬する事、感ずるに堪たり。
二 大都会故ニ人の心ハ大様なるか、武士は慇懃ニして凝り気なく、旗本など殊外温和にして、若山武士の如く屎力味なし、去ながらなべて天窓がちにて、浮華を事とし、初て逢ば恐るべき様なれど、口さき見付のみにて、思の外実はなく、あだ花に均しき人物多し。(『江戸自慢』安政期以降)
→和歌山藩付家老の侍医の記述
(上方語からみた江戸語)
へへ関東べいが、さいろくをぜへろくとけたいな詞つきじゃなア。お慮外(りょがい)も、おりよげへ。観音(くわんおん)さまも、かんのんさま。なんのこつちやろな。さうだから斯(かう)だからと。あのまア、からとはなんじやヱ・・ソレソレ。最(も)う百人首(ひやくにんし)じや。アレハ首(し)じゃない百人(ひやくにん)一、首(しゆ)じやはいな。まだまア「しやくにんし」トいはいで頼母(たのも)しいナ。