「係り結び」の思い出

 こんばんは。今日は、仙台からの新幹線の中で、「係り結び」の思い出を書きたい気持ちでいっぱいになりました。そこで、思い切って「係り結びの思い出」を書きます。
私が、大学生の頃、日本語学の講義のときに「係助詞」の読み方は、「かかりじょし」と「けいじょし」の二つがあるのは、この用語を作った山田孝雄博士が「係助詞」に振り仮名を振らなかったためであることを知りました。「ぞ・なむ・や・か」は連体形、「こそ」は已然形で結ぶ、などと教わった方もいるのではないでしょうか。その「ぞ・なむ・や・か・こそ・は・も」という「係助詞」の読み方は、「けいじょし」なのか「かかりじょし」なのか、知りたいと思いました。とりあえず、国語教育では読み方が不明なものは音読みにしておくので、「けいじょし」で読んでいるようでした。一方、日本語学などの学術用語の辞典などでは、係り結びをつくるので、「かかりじょし」と読んでいました。のその後、大学院に進学してから二年たった頃、懸賞論文や修士論文の参考にと思い、さまざまな大学の聴講生になり、多彩な講義を拝聴していました。あのころが一番激しく勉強していました。
 その中で、私立の二松学舎大学で聴講したは、大島正二氏の「中国言語学」、松田存氏の「能と狂言」、大友信一氏の「国語学史」と「国語音韻史」でした。
 大友信一氏は、東北大学のご出身で、当時はすでに岡山大学名誉教授でした。大友信一氏の講義では、雑談や思い出話が多く、学生時代に山田孝雄博士の自宅に出入りしていたこともお話になりました。私は、そこで、さっそく講義のあとで「山田孝雄博士は、係助詞をどのように読んでおられましたか『かかりじょし』ですか『けいじょし』ですか」と質問しました。そのときすぐに、大友信一先生は、「山田先生は、『かかりじょし』ですよ」と即答されました。続けて、「最近は、『けいじょし』と読む学者もいるが、とんでもない読み方だ」ともおっしゃいました。そのときから、私は「係助詞」を「かかりじょし」と読むことにしています。山田博士の門下の方も次々に鬼籍に入られています。ぜひ、「かかりじょし」が真実なのだということを伝えていきたいものですね。このブログをお読みの方も、「かかりじょし」と読むようにお願いいたします。
 偶然の出会いから、「係助詞」は「かかりじょし」と読むことを知りました。実際に、いろいろな方の話をきくことの重要性を痛感しました。人が亡くなると、脳みその中にある知識までも、あの世に持っていってしまうのは、とても残念ですよね。活字にしないタイプの学者も多いので、それ以来、機会をみつけてお話や講義を聞くようになりました。「係助詞」は、私にとって、それまでのスタイルを変える大きな出来事でした。
 なお、それから数年後に國學院大學名誉教授の岡崎正継氏(私は「源氏物語の語法研究」「平家物語の語法研究」「日葡辞書の研究」などの講義を拝聴しました)にそのことを申し上げたら、「山田さんの論文の中に、たまに『係り助詞』と「り」を送ってあるものがあるよ。だから、私も「かかりじょし」と読んでいた。ただ、音読みで「けいじょし」とした方が格調が高い気がして『けいじょし』と講義のときには読んでいるよ」とのことでした。この話も奥深くて印象的でした。そのとき、学問で鍛え上げた人物は偉大だと思いました。大友信一先生も岡崎正継先生も、あまり著作を残している方ではなかったのが残念です。お二人の講義を私が拝聴した講義ノートは今でも大切にしています。