時枝誠記の受身の論

十 時枝誠記

時枝誠記(1900-1967)の文法論は、『国語学原論』で、
構成的言語に於いては、概念と音声の結合として、その中に全く差異を認めることが出来ない単語も、言語過程観に立つならば、その過程的形式の中に重要な差異を認めることが出来る。即ち、
一 概念過程を含む形式
二 概念過程を含まぬ形式
一は、表現の素材を、一旦客体化し、概念化してこれを音声によって表現するのであって、「山」「川」「犬」「走る」等がこれであり、又主観的な感情の如きものをも客体化し、概念化するならば、「嬉し」「悲し」「喜ぶ」「怒る」等と表すことが出来る。これらの語を私は仮に概念語と名付けるが、古くは詞といはれたものであって、鈴木朗はこれをを、「物事をさしあらはしたもの」であると説明した。これらの概念語は、思想内容中の客体界を専ら表現するものである。二は、概念内容の概念化されない、客体化されない直接的な表現である。「否定」「うち消し」等の語は、概念過程を経て表現されたものであるが、「ず」「じ」は直接的表現であつて、観念内容をさし表わしたものではない。同様にして、「推量」「推しはかる」に対して「む」、「疑問」「疑ひ」に対して「や」「か」等は皆直接的表現の語である。私はこれを観念語と名付けたが、古くは辞と呼ばれ、鈴木朗はこれを心の声であると説明してゐる。それは客体界に対する主体的なものを表現するものである。助詞助動詞の如きがこれに入る。右の概念観念語の名称は、私が右の分類法を試みた当初に用ゐたものであるが、種々誤解を招き易いので、古くより日本に於いて行はれてきた詞及び辞の名称を借用して今後これを用ゐることとしたいと思ふ。
と述べており、その言語理論を見ることができる。すなわち、語を概念過程を経て表す「詞」と、概念過程を経ずに直接表す「辞」とに分け、さらに、「辞は詞を総括する機能の表現である」「文節は、私が既に述べた処の詞辞の結合単位、即ち入れ子型の単位と合致する」などとあり、句は辞が詞を包み込む形でまとまりを成すものであり、文は句が幾重にも入れ子式に重ねられることによって成立するものであるとする。
時枝誠記は、「る」「らる」について、『国語学原論』の中で、
彼は人に怪しまる
我はこの問題に答へらる
彼もこの問題に答へらる
師は喜ばれる
の例をあげて、それぞれ、「客体的な彼についての或る事柄の表現」「主体的なものを客観化してゐる」「彼についての表現であって、客体的に表現に属する」「語としては、客体的な事物の特殊な把握を表現してゐる」と説明している。この説明は、すっきりとしない印象を受けるが、このことは、「状態性」ということばで表現されてきたが、明快な説明としては、近藤泰弘が『日本語記述文法の理論』の中で用いている、「話し手の主観的な表現」というとらえ方で、きれいに説明できるであろう。これらの時枝誠記の述べているところから判断すると、時枝誠記は、心的過程としてのヴォイスについては、「る」「らる」自体を「自発根源説」でとらえており、その形によって客観化され、状態性の表現になってしまうが、例文を見ると、「人に」という、後に北原保雄が述べた受身格といってもよいものを示している。この立場をとって、他の場合と異なり、ヴォイスには、心的過程に違いが出てくるのではないかと思う。さらに、時枝誠記は『国語学原論』の中で、
詞辞の区別を専ら概念的表現と、主体的表現との別に求める私の立場に於いては、語における右の区別は極めて重要である。受身以下のものを辞より除外して詞に編入しなければならないといふ私の主張の根拠はそこにあるのである。
として、「る」「らる」は、「す」「さす」「しむ」などとともに、「ばむ」「がる」「たがる」などの接尾語と同列に扱っている。
その後の『日本文法 口語編』では、
一般に助動詞の附いたものは、例へば、「授けない」は「授け・ない」のやうに、一つの句であつて、どこまでも二語として取り扱はれなければならないものであるが、接尾語の附いたものは、「授けられ」のやうに、これを複合動詞或は全く一語として取り扱ふことが出来るのである。従つて、主語との照応も受身の場合は、接尾語の附いたものが一語としてその述語となることが出来る。
彼は賞を與へない。(主語「彼」に対する述語は「與へ」である)
彼は賞を與へられる。(主語「彼」に対する述語は「與へられる」である)
以下、可能・自発・敬譲・使役についても同じことが云へる。
としており、「主語に対する述語」という視点で説明し、さらに、複合動詞をつくるという様にも述べている。時枝誠記の「る」「らる」の扱いは、接尾語として一括して考えられがちであるが、複合動詞になるということにも注意してみたい。同じく『日本文法 口語編』において、
以上述べた受身、可能、自発、敬譲の表現に用ゐられる接尾語「れる」「られる」は、その起源に於いては、恐らく、存在を意味する動詞「あり」の用法の種々に分化発達したものではあるまいかと考へられる。また、これらの接尾語がついたものは、一語として考へられると同時に、複合語としても考へられるのであつて、次のような用例についてこれを見ることが出来る。
如何に困難であるかを知られるのである。(『夜明け前』、原本は「知らるる」とある)
右の「知られる」は「知る」と「れる」との結合した複合動詞であつて、もしこれを一語と見れば、当然右の文は、「困難であるかが知られる」とならなければならないのであるが、例文のやうに、「・・を知られる」となつてゐるのは、「知る」が分離して、その客語として「・・を」といふ助詞が用ゐられたものと解されるのである。
と述べて、客語と動詞が結びついていることに着目している。このように考えると、『国語学原論』では接尾語と言い切っていたが、『日本文法 口語編』になると、接尾語とは言い切らずに、複合動詞という考え方を持ち出している。このことは、「る」「らる」「れる」「られる」の独立性というものを示しており、助動詞に近い考え方なのではないか。従って、一般に『国語学原論』の記述をもとに、時枝誠記の受身の助動詞についての論を接尾語説であるとして言い切っているが、後の『日本文法 口語編』の記述も考えあわせると、「接尾語」として一括するのは、疑問が大いに残るところである。
また、他の時枝誠記の著作を見てみる。『日本文法 文語編』では、理論的な説明はなく、接尾語を「体言的接尾語」「動詞的接尾語」「形容詞的接尾語」の三つに分け、「ゆ」「らゆ」「る」「らる」を「動詞的接尾語」に入れているに過ぎない。また、『古典解釈のための日本文法』では、入子型の構造に則して、主に古典解釈の方法を試みることに主眼があるので、受身の助動詞についての記述はない。
こうして、受身の助動詞を中心に据えてみると、時枝誠記の文法理論は、『国語学原論』と『日本文法 口語編』に、古典解釈のものは『日本文法 文語編』と『古典解釈のための日本文法』にあらわれているとみることができる。